*ひさしぶり
ひさしぶりに、大川隆法の本を読んでみた。とはいっても、新刊ではなくて、2015年に出版された『ザ・コンタクト』という本である。
内容は、宇宙人関連の話をまとめたものである。大川隆法の講義、霊言、宇宙人リーディング、編集者によるコラムなど、いろいろなものが詰まっており、なかなかに賑やかである。
巻末には、映画『UFO学園の秘密』の広告がある。本書は映画公開に合わせて、編集、出版されたのだろう。
というわけで、以下に感想を書いてみる。
内容は、宇宙人関連の話をまとめたものである。大川隆法の講義、霊言、宇宙人リーディング、編集者によるコラムなど、いろいろなものが詰まっており、なかなかに賑やかである。
巻末には、映画『UFO学園の秘密』の広告がある。本書は映画公開に合わせて、編集、出版されたのだろう。
というわけで、以下に感想を書いてみる。
*人類の起源
まず本書のなかで、おもしろいと感じたのは、進化論に関する発言である。著者は、進化論について否定しつつも、肯定もするという微妙な発言をしている。
ただ、少なくとも言えることは、「現在の科学が主張しているような、『タンパク質のかたまりのようなものが収縮するあたりから始まって、次第しだいに生命ができ、やがて、ネズミのような生き物が生まれ、それが先祖になって人間ができてきた』という歴史ではない」ということです。その意味では、今の進化論は間違っています。ただ、地球での環境に応じて変化してきたことは事実であろうと考えています。(『ザ・コンタクト すでに始まっている「宇宙時代」の新常識』大川隆法著、幸福の科学出版、2015年、p.54)
この部分を読むと、著者は、生物が環境に応じて変化することは事実と考えているらしい。これはつまり進化論を支持するということなのだろう。
でもその一方で、ネズミのような生き物は、人類の祖先ではないと断言してもいる。ここでは進化論を否定している。
たぶん、ネズミのような生き物というのは、哺乳類の祖先といわれる生き物のことなのだろう。
たぶん、ネズミのような生き物というのは、哺乳類の祖先といわれる生き物のことなのだろう。
・哺乳類の祖先はみなネズミという雑学は本当ですか?
こうしてみると、著者は、進化論について否定するようであり、肯定するようでもあり、どうも判然としないところがある。
もしかしたら、著者は渡部昇一のような考え方をしているのかもしれない。
たしか渡部昇一は、進化論は動物には当てはまっても、人類には当てはまらないとしていた。一つの動物と、もう一つの動物は連続しているから、一つの動物が、別のもう一つの動物になることはありえる。でも動物と人類は全く別物であるから、動物が人類になることはありえない。人類が誕生するには質的に大変化が必要であって、それは進化論では説明できない、というような意見だったように思う。
大川隆法もこれと似た考えをしているのだろうか。だから進化論を認めつつも、人類に関しては例外として、進化論の外側におこうとしているのだろうか…。
たしか渡部昇一は、進化論は動物には当てはまっても、人類には当てはまらないとしていた。一つの動物と、もう一つの動物は連続しているから、一つの動物が、別のもう一つの動物になることはありえる。でも動物と人類は全く別物であるから、動物が人類になることはありえない。人類が誕生するには質的に大変化が必要であって、それは進化論では説明できない、というような意見だったように思う。
大川隆法もこれと似た考えをしているのだろうか。だから進化論を認めつつも、人類に関しては例外として、進化論の外側におこうとしているのだろうか…。
*地球外生物
著者は、地球には、宇宙から飛来した生物もいると考えているようだ。
もちろん、地球で生まれた生命体も数多くいますが、地球起源ではない生命体も数多くいます。 「宇宙からやって来て地球に住むようになり、地球人と同化して現代まで生き延びている生命体もいる」という事実を、私は告げ知らせています。(同上、p.32)
「地球で人類が創られたこともあるらしいが、一部には、宇宙から来ている者もある」ということが分かってきているのです。(同上、pp.54-55)
地球上の生物のうち、宇宙から飛来したものは数多くいるというのだから驚きである。少しいるではなく、数多くいるというのはすごい。また人類のなかにも、宇宙から来たものが混じっているというのには、びっくりさせられる。
話の流れからすると、これらは霊的な生命体というよりは、肉体をもって地球に来たということらしいから、これもすごい話ではある。
ただ自分の記憶では、生物学関連の書籍で、地球上の生物のDNAを調査した結果、すべて同根であることが証明されたという話を読んだことがあったように思う。地球上の生物を調べると、みな親戚であることがわかるというのである。
この調査結果から行くと、地球上の生物のなかに、宇宙から飛来した地球起源ではない生物…つまり地球上の生物とは、祖先が異なる生物が数多く存在するという意見は信じ難いものはある。この点、著者の意見は、世間一般の人々には理解され難いかもしれない。
*ニュートンと、アダムスキーの霊言
とはいえ、ニュートンの霊は、著者と同意見のようではある。ニュートンの霊は次のように語ったという。
「過去の何億年かの人類の歴史のなかにおいて、いま、地球人という名で一つに表されている、この人類は、実は、いろいろな星から移転してきた人たちの集まりである」という事実なのです。(同上、p.56)
アダムスキーの霊も、同意見のようだ。
肉体先祖にも、もともと物質化現象的につくられたものもあれば、遺伝子操作でつくられたものもあり、地球と似た気候環境の下にいた宇宙人が、そのままの肉体で移り住み、地球に適応する体に変わったものもある。(同上、p.39)
ここでは、宇宙から飛来した生物として、人間が例示されている。しかもいろいろな星から移住してきたというから、地球人とされるもののなかには、地球以外の人間が数種も紛れ込んでいるということだろう。または、地球人は、すべてが地球起源ではなく、他の星々のルーツを持ったものも混じっているということだろう。
でも現代の常識では、地球人のルーツはアフリカにあるとされているのではなかろうか。つまり地球人のルーツは一つであり、アフリカに収斂されるというのである。この部分は、ニュートン霊らの意見は、現代の常識とは真っ向から対立するようだ。
また、アダムスキーの霊言によると、地球に移住した宇宙人の肉体は、地球環境に合わせて変化したとしている。この発言からすると、どうやら、人類は必ずしも進化論の外側にあるというわけではなさそうである。
先に提示されていた大川隆法の言葉は、進化論を否定しているのか、肯定しているのか分かり難かったけれども、アダムスキーの霊言と合わせると、つまりこういう意味なのだろうか。
動物も、人も、環境によって変化することはある、ただし動物が人になることはないと…。
これは明文化されているわけではないけれど、大川隆法と霊人たちの意見を合わせると、大体、上のような意見のようではある。
先に提示されていた大川隆法の言葉は、進化論を否定しているのか、肯定しているのか分かり難かったけれども、アダムスキーの霊言と合わせると、つまりこういう意味なのだろうか。
動物も、人も、環境によって変化することはある、ただし動物が人になることはないと…。
これは明文化されているわけではないけれど、大川隆法と霊人たちの意見を合わせると、大体、上のような意見のようではある。
*正直な感想
最後に、進化論について、自分の感想を述べておきたいと思う。
自分も感覚的には、脊椎動物の祖先や、哺乳類の祖先の復元図を見ると、これが人間になるなんて、にわかには信じられないような感じはする。こんなミミズみたいな生物や、ネズミみたいな生物が、人間になるなんて信じられないと…。
でも、人間の胎児の成長過程をみると、そういうことも有り得る気はしてくる。胎児は、タツノオトシゴのようになったり、えらをもった魚のようになったり、四つ足の牛や犬のようになったりしながら、最後に人の形になる。胎児は、何万、何億年の進化の過程を十月ほどで成し遂げるのである。
もし胎児が、はじめから人の形をしていて、だんだんに大きくなるだけなら、動物と人間とは根本的に違うかもしれない。でも実際は、胎児は進化の過程を辿るようにして、人の形になっている。
こういう現実をみると、人と動物は完全に別であるというよりは、動物が進化して人になったという方が、リアリティはある。自分は専門家ではないので、難しいことは分からないが、進化論はそう簡単に否定し去れるようなものではないとは思う。
自分も感覚的には、脊椎動物の祖先や、哺乳類の祖先の復元図を見ると、これが人間になるなんて、にわかには信じられないような感じはする。こんなミミズみたいな生物や、ネズミみたいな生物が、人間になるなんて信じられないと…。
でも、人間の胎児の成長過程をみると、そういうことも有り得る気はしてくる。胎児は、タツノオトシゴのようになったり、えらをもった魚のようになったり、四つ足の牛や犬のようになったりしながら、最後に人の形になる。胎児は、何万、何億年の進化の過程を十月ほどで成し遂げるのである。
もし胎児が、はじめから人の形をしていて、だんだんに大きくなるだけなら、動物と人間とは根本的に違うかもしれない。でも実際は、胎児は進化の過程を辿るようにして、人の形になっている。
こういう現実をみると、人と動物は完全に別であるというよりは、動物が進化して人になったという方が、リアリティはある。自分は専門家ではないので、難しいことは分からないが、進化論はそう簡単に否定し去れるようなものではないとは思う。
宇宙から飛来した生物はいるかということについては、先に述べたように、地球上の生物のDNAを調査すると、すべて同根で、ルーツは同じだという結果がでているそうなので、あまりリアリティは感じないというのが正直な感想ではある。
でも地球上の生物には、分類に苦労する不思議な生物もいるようであるし、ひょっとすると、将来的に、地球上の生物とルーツを異にする生物が発見されることもあるかもしれない。もしそうなったら、おもしろいとは思う。
ただ仮にそういう新発見があったとしても、ルーツを異にする生物は、例外中の例外であり、極めて稀という程度にとどまるだろうし、大川隆法の言うように数多いということになる可能性は低そうではある。
多分だけども、大川隆法の意見が正しいと証明されることは、かなり難しいだろうなあと思う。
でも地球上の生物には、分類に苦労する不思議な生物もいるようであるし、ひょっとすると、将来的に、地球上の生物とルーツを異にする生物が発見されることもあるかもしれない。もしそうなったら、おもしろいとは思う。
ただ仮にそういう新発見があったとしても、ルーツを異にする生物は、例外中の例外であり、極めて稀という程度にとどまるだろうし、大川隆法の言うように数多いということになる可能性は低そうではある。
多分だけども、大川隆法の意見が正しいと証明されることは、かなり難しいだろうなあと思う。
〈つづく〉
初期の頃は、動物の霊が進化して人間になることもあるとしていたと思う。飼い犬の霊が、進化して、人間の肉体に宿り、人霊になって行くこともあると…。
また人霊であっても、畜生道に堕ちて、動物の姿で長くいるうちに、自分が人であることを忘れてしまうこともあるというエピソードも紹介されていた。見た目が動物霊でも、よく調べてみると人霊であることもあると…。
また大日意識という惑星意識が、聖アントニウスとして人格神の姿で現れることもあるという話もあった。四次元には、植物の妖精などもいるという話もあったように思う。
昨今は、創造論的な立場から、人と動物を別ものとする説法が多いようではあるが、初期は必ずしもそうではなかった。植物、動物、人間、惑星などは連続しているとする考え方が強かった。まさに霊性進化論的な立ち位置だった。
この辺りの教えの変化は、どういうことなんだろうなあと思う。
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