*つづき
この記事は、前の記事のつづきです。
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*宇宙人の外見
宇宙人の外見について、コラムでは次のような記述があった。カエル、トド、ニワトリ、カピバラ、カメ…など、さまざまな形の宇宙人が存在するということである。
動物型宇宙人近世のカエル型、木星のトド型、火星のニワトリ型、ベガ星のカピバラ型、キララ星のカメ型、マゼラン雲シルバーAのライオン型、クジラ型、ウサギ型など(『ザ・コンタクト すでに始まっている「宇宙時代」の新常識』大川隆法著、幸福の科学出版、2015年、p.180)
これがもし事実であるならば、おもしろいなあと思う。でも実際のところはどうなんだろうか。何かの本で読んだ覚えがあるのだが、それによれば高度な知性をもった宇宙人がいるとしたら、それは人型だろうというものだった。その理屈は、次のようなものである。
高度な知性をもつには、大きな脳が必要となる。大きな脳をささえるには、直立しないでは無理である。道具を使うには、ものを握ることができなくてはならない。ものを握るには、人間の親指のように、他の指と向き合う形の指を持っていなくてはならない。対象との距離を測るには目は二つ必要である。食べ物の安全を確かめるには、口の近くに鼻が必要である…などなど。
こんな風に考えて行くと、知性をもち、道具を扱える宇宙人は、人型以外にはなかろうというのである。とすれば、動物型宇宙人というのは、ファンタジーとしてはありとしても、あまり現実的ではないかもしれない。
ついでにいうと、動物型宇宙人というものがあるとしたら、前の記事で話題にした、ネズミのような生き物が人間になることはない、動物が人間になることはないという意見と、ちょっと矛盾しているような気がしないでもない。
こんな風に考えて行くと、知性をもち、道具を扱える宇宙人は、人型以外にはなかろうというのである。とすれば、動物型宇宙人というのは、ファンタジーとしてはありとしても、あまり現実的ではないかもしれない。
ついでにいうと、動物型宇宙人というものがあるとしたら、前の記事で話題にした、ネズミのような生き物が人間になることはない、動物が人間になることはないという意見と、ちょっと矛盾しているような気がしないでもない。
*霊言に用いられる言葉
上とは別のコラムでは、霊言について次のように記されている。
宇宙人の魂は、霊言を行う者の言語中枢から必要な言葉を選び出し、日本語で語ることもできる。(同上、p.47)
宇宙人の魂は、霊媒の言語中枢を活用して、日本語で語ることもできるとのことである。日本語で語ることもできるということは、日本語で語らないこともできるということだろうか。たとえば日本語ではなく、宇宙語で語ることもできるとか。
そういえば以前、宇宙人の霊言で、「ヌ、ヌ、ヌ…」などというものが話題になっていたのだった。このことからすると、宇宙人は日本語ではなく、自分の言葉で語ることもできると考えて差し支え無さそうである。
ところで、上の仕組みは、外国人の霊言に当てはめることはできそうである。外国人の霊は、日本語ではなく、母国語で霊言することも可能だろうと…。そういえば実際、初期の霊言集では、霊人が日本語で語る前に、母国語でペラペラしゃべっている様子が描写されていた。
最近はこういう事はないようではあるが、霊言の様子をビデオ録画している今こそ、このような現象は記録、公開した方がよさそうではある。外国人や古代人の霊が、日本語で語るよりは、母国語で語った方が、霊言の信憑性が高まることは間違いない。
日本語で語られなくては、日本人信者には理解できないという意見もあるかもしれないが、そこは字幕を入れるなり、吹替にすればいいことである。また質問者が対話できなくなるというのであれば、通訳を頼めばいいことである。霊言のすべてを外国語で行う必要はないだろうけれども、はじめの十分くらいは、そういう時間を設けてもいいのではなかろうか。
奇跡というものは、それが起きたときはリアルであり、信じる人が多数いたとしても、時が経てばそうではなくなるものである。おそらくは、霊言という奇跡も、そのような経過を辿るだろう。そういうことを考えれば、疑おうにも、疑いようもない証拠を多く残してゆくことは賢明なことであると思う。
最近はこういう事はないようではあるが、霊言の様子をビデオ録画している今こそ、このような現象は記録、公開した方がよさそうではある。外国人や古代人の霊が、日本語で語るよりは、母国語で語った方が、霊言の信憑性が高まることは間違いない。
日本語で語られなくては、日本人信者には理解できないという意見もあるかもしれないが、そこは字幕を入れるなり、吹替にすればいいことである。また質問者が対話できなくなるというのであれば、通訳を頼めばいいことである。霊言のすべてを外国語で行う必要はないだろうけれども、はじめの十分くらいは、そういう時間を設けてもいいのではなかろうか。
奇跡というものは、それが起きたときはリアルであり、信じる人が多数いたとしても、時が経てばそうではなくなるものである。おそらくは、霊言という奇跡も、そのような経過を辿るだろう。そういうことを考えれば、疑おうにも、疑いようもない証拠を多く残してゆくことは賢明なことであると思う。
*悪との戦い
最近、信者さんのブログ、ツイッターなどを見ていると、あまりに挑戦的で驚くことがあるのだけれども、アンドロメダの総司令官の発言に、それと似たような発言を見つけた。
われらは今、「宇宙における悪の軍団は絶対に許さない」という強い意思の下で結束し、戦おうとしています。 (同上、p.205)
平気で彼らに追随し、平気で自分たちの仲間の内から弱い者を身売りして、食料にでも生贄にでも提供しているような人たちもいますよ。もうすでに白旗を揚げた人たちですね。しかし、われわれは許さない。断じて許さない。(同上、p.209)
信者さんのなかには、正義の戦いだとか、悪は断じて許さないとか言って、他者を悪質レプタリアンだとレッテルを貼り、激しく攻撃する人もいるけれども、それはこういう発言の影響を受けてのことなのだろうか。
もしそうであれば、大川隆法の本には、すさまじい影響力があるのだなあと思う。またそれと同時に、信者というものはすごく純真なのだなあとも思う。
これはある意味、信者さんの言動は、大川隆法の一言でどうにでもなり得るということであるし、大川隆法の責任は大きいということになりそうだ。こう考えると、教祖というのは、本当に大変な仕事だと思う。
これはある意味、信者さんの言動は、大川隆法の一言でどうにでもなり得るということであるし、大川隆法の責任は大きいということになりそうだ。こう考えると、教祖というのは、本当に大変な仕事だと思う。
〈つづく〉