*つづき
この記事は、前の記事のつづきです。
*UFOの航路
大川隆法は、宇宙旅行の説明のまえに、まず次元論の確認をしている。
特に、「九次元」といわれる世界、別名「宇宙界」ともいわれる世界においては、地球霊界と、知的生命体が住んでいる他の星の霊界とは、つながっています。(『ザ・コンタクト すでに始まっている「宇宙時代」の新常識』大川隆法著、幸福の科学出版、2015年、p.64)
ここでは、霊界には地球だけで完結している部分もあれば、他の惑星、銀河とつながっている部分もあると前置きしたあとで、九次元は後者であって、他の惑星、銀河とつながっていると言っている。
これは自分が知っている教義の通りである。霊界のうち四次元から八次元までは地球を包むようになっていて、九次元以降は他の惑星とつながっているというのである。だから九次元霊は、他の惑星の九次元霊と、対話をしたりするというのである。
上の発言は、この教義の通りだと思う。
上の発言は、この教義の通りだと思う。
*光のエネルギー体
著者は、こうも言っている。
この世では物質化している体が、異次元空間を通っているあいだは、おそらく、光のエネルギー体に〝翻訳〟されているはずです。(同上、p.69)
たしか、教義的には、人は、三次元では肉体をまとい、四次元では肉体を脱いで幽体となり、五次元では幽体を脱いで霊体となり…九次元などの高次元では光のエネルギーとなるのだったように記憶している。
とすれば、惑星間を旅するときに、高次元を通るのであれば、それに合わせて光のエネルギー体となるというのは教義的に正しいようだ。
ただそれができるためには、高い悟りを得ていなければならないのではないかという疑問は残る。九次元の悟りを得ていないのに、光のエネルギー体となって高次元を旅するというのは何だか理屈に合わない。
ただそれができるためには、高い悟りを得ていなければならないのではないかという疑問は残る。九次元の悟りを得ていないのに、光のエネルギー体となって高次元を旅するというのは何だか理屈に合わない。
*次元変換の装置
上の疑問については、次に答えがあるようだ。これは、トスの霊言である。
宇宙人は、高次元空間を通らないと普通は地球に来られないので、高次元存在へと移行する、そういう移行システムを持っているんですよ。彼らが、そうした次元変換の装置を持っているということは、魂のレベルでも、そうした次元変換ができることを意味しているのです。(同上、p.73)
繰り返しになるが、四次元から八次元までは、その惑星で完結しており、九次元以降では他の惑星ともつながっているということであるから、高次元を通らないと地球に来られないというのは理屈にあっている。
ただ次元変換の装置によって、魂のレベルを上げることができるというのは、やや疑問が残る。
『釈迦の本心』だったろうか。低次元の魂が、菩薩、如来になるには、何千、何万年という年月が必要になるという話があったと思うが、装置によって魂レベルをあげることができるというのは、なんかおかしい感じがする。
たしか自分の記憶では、地球において八次元の如来が誕生した例はあるが、まだ九次元の大如来は誕生していなかったように思う。教義的には、地球で人類が魂修行をはじめてから数億年が経っているはずだが、それだけの年月を経ても九次元の大如来は生まれないのである。
次元変換の装置は、魂レベルをどれだけ上げることが出来るかは判然としないが、そういう機械が存在するのだとすると、長い年月をかけて幾転生もして魂修行をするというのは、「自分は地球一周するぞ」と宣言しつつも、飛行機にも、船にも、車にも乗らずに、小さな島の周りをぐるぐる歩き回っているようなものであって、なんだか馬鹿らしい気がしないでもない。
仮に一時的なものであったとしても、そんなに簡単に魂レベルを上げる装置をつくることを、根本神は容認してくれるものだろうか。この辺りはちょっと疑問である。
『釈迦の本心』だったろうか。低次元の魂が、菩薩、如来になるには、何千、何万年という年月が必要になるという話があったと思うが、装置によって魂レベルをあげることができるというのは、なんかおかしい感じがする。
たしか自分の記憶では、地球において八次元の如来が誕生した例はあるが、まだ九次元の大如来は誕生していなかったように思う。教義的には、地球で人類が魂修行をはじめてから数億年が経っているはずだが、それだけの年月を経ても九次元の大如来は生まれないのである。
次元変換の装置は、魂レベルをどれだけ上げることが出来るかは判然としないが、そういう機械が存在するのだとすると、長い年月をかけて幾転生もして魂修行をするというのは、「自分は地球一周するぞ」と宣言しつつも、飛行機にも、船にも、車にも乗らずに、小さな島の周りをぐるぐる歩き回っているようなものであって、なんだか馬鹿らしい気がしないでもない。
仮に一時的なものであったとしても、そんなに簡単に魂レベルを上げる装置をつくることを、根本神は容認してくれるものだろうか。この辺りはちょっと疑問である。
*梵天界?
上の話では、九次元からは他の惑星とつながっているが、八次元まではその惑星で完結しているという基本教義を念頭におきつつ書いてきた。
でも、ゼータ星人によれは、ちょっと話はちがってくるようである。
でも、ゼータ星人によれは、ちょっと話はちがってくるようである。
あなたがたの世界で言えば、もう八次元に近いあたりだと思いますけれども、その辺りに近い次元を通過し、宇宙航行する技術を持っているのです。(同上、p.174)
ゼータ星人によれば、惑星間旅行は、九次元ではなくて、八次元に近いあたりを通過するのだという。これはつまり梵天界を通るということだろうか。
たしか基本教義では、三次元側から見た場合、九次元に近いあたりは太陽界で、八次元に近いあたりは梵天界だったように思う。
惑星間旅行に、太陽界(九次元の近く)を通るならまだしも、梵天界(八次元の近く)を通るというのは、他の惑星とつながっているのは九次元以上であるという教義と矛盾するように思えるがいかがだろう。
惑星間旅行に、太陽界(九次元の近く)を通るならまだしも、梵天界(八次元の近く)を通るというのは、他の惑星とつながっているのは九次元以上であるという教義と矛盾するように思えるがいかがだろう。
*四次元を通る?
でも、ウンモ星人の言葉とくらべると、ゼータ星人の言葉はまだましである。
ウンモ星人の場合は、四次元を通って宇宙旅行をしていると語っている。
ウンモ星人の場合は、四次元を通って宇宙旅行をしていると語っている。
主として四次元霊界を通らなければ、やはり、なかなか来れないので、三次元と四次元の間を行ったり来たりしながら運航しております。(同上、p.148)
たしか、基本教義からすると、四次元は、三次元の惑星を囲むようにできているのではなかったろうか。
この設定で考えると、船に乗り込み、地球上の海をどんなに進んでも、地球から出ることはできないように、四次元空間をどんなに進んでも地球から出ることはできないのではなかろうか。
地球から出るには、九次元以上の高次元を通らない限りは無理なのではなかろうか。
この辺りは、どうもスッキリしない感じがする。
地球から出るには、九次元以上の高次元を通らない限りは無理なのではなかろうか。
この辺りは、どうもスッキリしない感じがする。
*メインストリーム
上の疑問については、注にある説明が答えてくれているかもしれない。
宇宙全体の霊界と地球霊界を結ぶルートが存在し、UFOが霊界を経由して移動する際のメインストリームとなっている。(同上、p.174)
この注から想像すると、四~八次元まではその惑星の周囲を包み込む形になっており、他の惑星とはつながってはいないものの、ところどころに他の惑星の四~八次元との間にトンネルが掘られており、そこを通って航行できるということだろうか。
上記のトス霊言をよく読み直してみれば、「宇宙人は、高次元空間を通らないと普通は地球に来られない」とある。〝普通は〟と挿入してある。これはつまり、宇宙人が地球に来るには、普通は高次元空間を通らないといけないが、普通でない方法によれば高次元空間を通らなくてよいということかもしれない。そして、この普通でない方法というのが、ゼータ星人、ウンモ星人、注が主張することだと…。
でもなあ、四~八次元にトンネルを掘るなりして、道をつくるというのも、次元変換の装置を使用して高次元存在になるというのも、現代の地球人からすると、どっちも普通でないような気がする。
でも強いて言えば、次元変換装置の方が、より普通ではないかもしれない。魂修行によってではなく、装置によって、高次元存在になるというのは、邪道であり、罪深いと思うので。
根本仏は、人々が幾転生を繰り返し、さまざまな経験をし、長い年月をかけて魂を磨き、向上するのを、慈しんでいるという。そうであれば、特殊な装置によって、手っ取り早く魂レベルを高次元に引き上げることを喜ぶとは考え難い。
そういうことをしていれば、いつか何らかのしっぺ返しを受けることになりそうな気はしないでもない。
でもなあ、四~八次元にトンネルを掘るなりして、道をつくるというのも、次元変換の装置を使用して高次元存在になるというのも、現代の地球人からすると、どっちも普通でないような気がする。
でも強いて言えば、次元変換装置の方が、より普通ではないかもしれない。魂修行によってではなく、装置によって、高次元存在になるというのは、邪道であり、罪深いと思うので。
根本仏は、人々が幾転生を繰り返し、さまざまな経験をし、長い年月をかけて魂を磨き、向上するのを、慈しんでいるという。そうであれば、特殊な装置によって、手っ取り早く魂レベルを高次元に引き上げることを喜ぶとは考え難い。
そういうことをしていれば、いつか何らかのしっぺ返しを受けることになりそうな気はしないでもない。
*まとめ(大川隆法の天才性)
物語というものは、破綻があるかないかよりも、勢いがあるかないかの方が重要だという意見がある。
これはその通りであって、ストーリーに矛盾があろうが、設定に破綻があろうが、それ以上の魅力があれば、物語は成立するのである。
たとえば長期に渡って連載された人気マンガなどには、このような例が少なくない。この種のマンガでは、連載初期とは設定や主人公が変わったり、登場人物らが全然、年を取らなかったりしたとしても、多くの読者はそんなことは気にせず、楽しむものである。
例えは…古いマンガしか知らないので恐縮ではあるが、「トイレット博士」の場合は、トイレット博士が出てくるのは初期だけで、途中で主人公は変わっているが、そんなことは気にしない人が大半である。また、「ドラえもん」や、「サザエさん」のキャラが全然、年を取らないことも、いちいち気にしないのが普通である。毎年、同じ年齢で、夏休みや正月を繰り返していたって別に構わないのである。
宇宙の法シリーズも、多分これと同じなのだろう。あちこちに矛盾、ほころびはあるものの、信者らはそんなことはあまり気にしていないらしい。これはつまり、宇宙の法シリーズには、そんなことは気にならないほどに、魅力があるということなのだろう。というか、宇宙の法シリーズのみならず、HS教義全体がそうなのだろう。
この点、大川隆法は作家として才能があるのかもしれない。物語の展開、設定の完璧さを目指すより、多少の矛盾があろうとも、物語をぐいぐい進めて、信者をひきつけているのだからすごい。自分は小心者であり、細かいところが気にかかる性格なので、余計に、こういう図太さ、剛腕はすごいと思える。
ついでにいうと、霊言動画をみると、大川隆法は作家としてだけでなく、エンターテイナーとしても才能がありそうだ。霊人の個性に合わせて、衣装を変えたり、仕草を変えたりして、さまざまに工夫している。
新興宗教の教祖でありながらも、多芸多才というと、まず第一に、ワールドメイトの深見東州を連想するけれども、大川隆法もそれに匹敵するほど多芸多才であるようだ。どちらも興味深い人物であるし、今後もこの二人の活動には注目していきたいものである。
これはその通りであって、ストーリーに矛盾があろうが、設定に破綻があろうが、それ以上の魅力があれば、物語は成立するのである。
たとえば長期に渡って連載された人気マンガなどには、このような例が少なくない。この種のマンガでは、連載初期とは設定や主人公が変わったり、登場人物らが全然、年を取らなかったりしたとしても、多くの読者はそんなことは気にせず、楽しむものである。
例えは…古いマンガしか知らないので恐縮ではあるが、「トイレット博士」の場合は、トイレット博士が出てくるのは初期だけで、途中で主人公は変わっているが、そんなことは気にしない人が大半である。また、「ドラえもん」や、「サザエさん」のキャラが全然、年を取らないことも、いちいち気にしないのが普通である。毎年、同じ年齢で、夏休みや正月を繰り返していたって別に構わないのである。
宇宙の法シリーズも、多分これと同じなのだろう。あちこちに矛盾、ほころびはあるものの、信者らはそんなことはあまり気にしていないらしい。これはつまり、宇宙の法シリーズには、そんなことは気にならないほどに、魅力があるということなのだろう。というか、宇宙の法シリーズのみならず、HS教義全体がそうなのだろう。
この点、大川隆法は作家として才能があるのかもしれない。物語の展開、設定の完璧さを目指すより、多少の矛盾があろうとも、物語をぐいぐい進めて、信者をひきつけているのだからすごい。自分は小心者であり、細かいところが気にかかる性格なので、余計に、こういう図太さ、剛腕はすごいと思える。
ついでにいうと、霊言動画をみると、大川隆法は作家としてだけでなく、エンターテイナーとしても才能がありそうだ。霊人の個性に合わせて、衣装を変えたり、仕草を変えたりして、さまざまに工夫している。
新興宗教の教祖でありながらも、多芸多才というと、まず第一に、ワールドメイトの深見東州を連想するけれども、大川隆法もそれに匹敵するほど多芸多才であるようだ。どちらも興味深い人物であるし、今後もこの二人の活動には注目していきたいものである。
〈了〉
あとは、お金を出さないように注意しなければ。
tam
がしました