*直接談話
『地球の破滅を救う』を読んでいたら、交霊会における霊との直接談話なるものが説明されていた。
メガフォンをいつもテーブルの上に置くが、このメガフォンを使って霊が話をするのである。霊は霊媒の発声器官からエクトプラズムを抽出し生前の自分の声帯をつくる。そして生前そっくりの声を出して色々話をする。したがって声は霊の生前の声であり、霊媒の声とは全然異なる。この発声を直接談話という。霊媒の霊言とは根本から異なる。(『地球の破滅を救う』塩谷信男著、東明社、2000年、p.89)
直接談話というのは、霊が、エクトプラズムによって声帯をつくり、それによって生前の声によって語るというものらしい。霊が、霊媒の口を使って語る霊言とは、根本から異なるという。
この方法は霊との対話としては理想的だろうし、これを実際に完璧にやられたら、どんな懐疑派の人でも、いかさまは暴露できず、肯定派に転向しそうではある。
*霊言の難点
一方、著者は、霊言については、やや辛口になっている。
霊言には、霊媒の潜在意識、希望、考え等が混じる。したがって聞く方は充分注意をする必要がある。しかし直接談話にはその誤りは無い。ただし霊そのものに、知識の不足や誤りがあれば、言うことに間違いが入る。(同上、p.89)
霊言は、霊が、霊媒の口を使って語るというものだけれども、それには「霊媒の潜在意識、希望、考え等が混じる」というのである。
これは霊言の信憑性が議論になるときに、よく問題になることではあるが、霊言の致命的な欠点だなあと思う。
*直接談話と霊言
というわけで、以下に、直接談話方式と、霊言方式の特徴をまとめれば、こうなりそうだ。
・直接談話方式……霊は、霊媒の意識を混入させることなく、自分の意見を、自分の声で語ることができる。ただし霊自体に知識不足などがあれば、間違いが生じることもある。
・霊言方式……霊は、霊媒の意識の影響を受けるので、語られた内容はすべて霊の意見であるとは言い切れない。また霊自体に知識不足などがあれば、そこでも間違いが生じる。
つまり霊言方式では、霊自体の誤りと、霊媒の意識混入という、二重の難点がある。
こうしてみると、いちいち結論を書くまでもなく、霊言方式というのは、霊との対話の方法としては、最上の方法とは言えないようではある。もっと率直に言えば、直接談話方式と比べたら、信頼性はかなり低いということである。
*霊言の声
本書では、直接談話方式では、霊は生前の声で語ると書いてあるが、霊言方式の場合の声については触れていないようである。霊言の場合、霊は生前の声で語るのだろうか、それとも霊媒の声で語るのだろうか。どっちなのだろう。
よく聞くエピソードであれば、悪霊に憑かれた少女が、突然、野太い男の声を発したという話があったりする。これからすると、霊言でも、霊媒の声ではなく、霊の生前の声で語られるものなのかもしれない。
ただこれに対しては、次のような反論もありえる。「霊媒がトランス状態または無意識状態になり、霊に体を完全に占有された上で為される霊言では、霊の生前の声で語られる。しかし霊媒が意識を失うことなく、覚醒状態を保った上で、霊に霊言させる場合は、霊の生前の声ではなく、霊媒の声によって語られる」
今のところ、自分にはこの反論の妥当性を判断する方法は思い浮かばないのではあるが、ただそれでも、常に霊媒の声で語られる霊言は、霊の生前の声で語られる霊言よりも、信憑性はかなり低くなるだろうなあとは思う。
自分は、ものまねには詳しくないのだけれども、ものまね芸人を見ていると、いろいろなタレントの仕草、表情、話し方、話の内容などの特徴をつかみ、上手に真似ている。でも声になると、真似できる人、真似できない人がいるようである。どうも、自分と似た声質を持った人の声は、うまく真似できても、そうでない人の声は真似できないらしい。
この点からすると、霊が変わっても常に霊媒の声でしか語れない霊言というのは、本当の霊との対話というよりも、ものまね芸に近いのであって、霊をネタにしたスピリチュアル・エンターテイメントみたいなものかもしれない。
こう言っては何だけども、こういった霊言は、霊の生前の声で語られる霊言とは、別ものといっていいほど異なるし、敢然とした区別が必要だろうと思う。
*霊言の危うさ
自分は、スピリチュアル・エンターテイメントを全否定するつもりはないし、その面白さは理解できなくもないので、ものまね芸的な霊言も全否定はしないつもりではある。そういう緩い遊びが必要なこともあるだろう。
でもそれには、おのずから限度というものがあって、あまりに度が過ぎることは止めた方がいいとは思う。
たとえば、霊言と称して、霊自身がバカなことを言ったことにして、霊を笑いものにするのはよくない。これは、コックリさんをやっているときに、勝手に十円玉を動かして、コックリさんがバカなことを言ったことにして笑うのと同じくらいによくない。
神、霊、死者を貶め、笑うというのは、自らの人格を傷つけるばかりで何の益にもならない。
昨今のスピリチュアル・エンターテイメントには、あまりにも笑いの方向に偏り過ぎているものも少なくないようなので、ここは注意が必要だと思う。本人は大真面目なのに、傍から見たらギャグになってしまっているのも困りものだけども、本人が確信犯的に神、霊、死者をバカにし、笑いものにしているらしいものも少なくないのは残念なことである。こういう傾向は、早く改まればいいなあと思う。〈了〉