とある新興宗教の教祖は、人に親切にすべきことを説いている。隣人愛、利他、布施などはとても良いことだとしている。これには共感できる。

でもその一方で、この教祖は、増税には断固反対している。税金を上げることだけでなく、税金があること自体や、社会保険制度自体にさえも反対のようでもある。これはなんか変な感じだ。

税金というのは、本来としては、社会のため、みんなのためにあるものだろう。社会保険なども、人々の支え合いであって、みんなのためにあるものだろう。いってみればこの意味では税金も社会保険も、利他や布施の一形態なのである。

人に親切にする、人に尽くす、人に分け与えるという意味では、利他や布施も、税金も社会保険も、みんな同じなのだ。こう考えると、利他や布施を奨励しておきながら、税金や社会保険に反対するというのはおかしなことだ。

細かい理屈を言えば、両者には相違点もなくもない。たとえば、利他や布施は個人の自由選択であるが、税金や社会保険は強制的に徴収されるというところは、正反対ではある。直接的か間接的かというところもちがう。

でもそれはそれとして、大きな視点でみれば、上で述べた通り、どちらも人に分け与えるというところは同じである。そうであれば利他や布施を奨励しておきながら、強制性があるからといって、税金や社会保険に反対するのは、やっぱりおかしい。

ことに、この教祖の団体は、布施にノルマがあることが囁かれているのである。集金体質がひどすぎると批判されているのである。また1000万円の高額な布施を、顕彰する制度をも設けているという。こういうことをしている教祖が、強制性があることを理由に、税金などに反対するのは噴飯ものである。

税金などの無駄遣いに苦情を言うならまだしも、税や社会保険制度自体を否定するかのような発言をするのではどうしようもない。
信者に「布施は執着は断つ修行だ」と説いて布施をすすめるならば、自分も「税金(布施)は執着を断つ修行だ」として、率先して税金を払うのが筋というものである。

巷では、「人物をみるには、言葉ではなく、行動を見よ!」と言うけれども、この教祖を見ていると、つくづくこの言葉は本当だなあと思う。〈了〉