*ひさしぶりの法シリーズ
大川隆法の本は、この間は『ザ・コンタクト』を読んだが、今度は『正義の法』を読んでみた。法シリーズを読むのは久方ぶりだ。
次に、各章の要点と感想を書いてみる。
(注意 批判的なことも書いてあるので、そういうことは読みたくない信者さんは、注意してください)


*第1章 神は沈黙していない
本章で語られているのは、およそ次のようなことである。

・途上国では宗教によって教育を受ける権利が侵害されることもある。
・先進国では唯物論的な傾向が強く、教育の現場から宗教を排除しようとする傾向がある。例を挙げれば、映画「神は死んだのか」や、幸福の科学大学が認可されなかったことなど。
・この世の常識は、神の真実からかけ離れている。
・イエスの時代、神の声を聞いたのはイエス一人だった。
・学問の分野でも、政治の分野でも、悪と戦い、真理を延べ伝えてゆかなければならない。

これらの主張について、自分なりにまとめると、唯物論、無神論は悪であるから、これらを排除して、幸福の科学の教えを広めて行こう、現代社会で神の声を聞き、その意志を伝えることができるのは大川隆法だけであるということのようだ。
これについて自分なりの疑問点を挙げるとすると、こうかな。
「映画作品だとか、幸福の科学大学の不認可だとかを例に挙げて、先進国の教育現場では宗教が排除されているというのは無理がある。たとえば日本では、キリスト教系、仏教系の学校はたくさんあるし、またそうでない学校であっても、映画「神は死んだのか」のように、学生に無神論を強要するところなんてあるのだろうか。そんなの聞いたことない。この点、大川隆法の意見は、その出発点からして根拠薄弱ではなかろうか。宗教(幸福の科学)が迫害されているという自説に都合の良いように、わざと極端な話を持ち出しているのではあるまいか」


*第2章 宗教と唯物論の相克
本章では次のことが語られている。

・幸福の科学は、宗教対立を解消しようとしている。その方法の一つに、過去の宗教のうち、時代に合わなくなっている部分を変革することがある。
・小乗仏教では、仏陀は生まれ変わらないとしているが、これは間違いであって、仏陀も生まれ変わることがある。
・仏陀が地上に生まれ変わってくることで困るのは悪魔である。仏陀の生まれ変わりを望まない人は、悪魔に支配されている。
・人間など、生きとし生けるものには目的があり、それを創った存在がある。進化論は間違いである。
・この世を超えた崇高な存在を信じることが大切である。

なんだか本章は、話があちこちに飛び過ぎているような気もするが、大川隆法は、自らは仏陀の生まれ変わりであり、かつ、創造主でもあるとしているので、その立場から、仏陀は生まれ変わらないという小乗仏教や、唯物論的な進化論を批判しているようである。
こういう主張は、信者からは支持されるだろうけれども、それ以外からも支持してもらえるかどうかは微妙かもしれない。釈尊は仏陀も生まれ変わると説いていたというのは、キリストは宇宙人だったというくらいに素っ頓狂で、荒唐無稽なことであるし、そういうことを信じるのは、信者以外には中々いないだろうなあとは思う。


*第3章 正しさからの発展 「正義」の観点から見た「政治と経済」
本章では大体、次のような話がされている。

・イスラム国による日本人人質事件に対する安倍総理及び日本政府の対応はよくなかった。
・政治的な正邪について、その思想、制度などを推し進めたらどうなるかで判断できる。
・経済的な正邪について、チャンスの平等はよいが、結果平等はよくない。魚を与えるより、魚の釣り方を教え、自立を促すのがよい。
・その他

著者の主張は、概ね理解できるように思う。だけども、いささか大雑把で、単純化しすぎているきらいがある。
たとえば思想、制度の良し悪しを判断するのに、それを極端まで進めたらどうなるかで判断するというけれども、これはナンセンスである。
どんな思想、制度であっても極端にしたらおかしくなるのである。たとえば親切は良いことだけども、それを極端に推し進めたら過干渉、お節介となって厄介なものになる。自由は素晴らしいが、何でも自由にしたら弱肉強食となり、弱者は虐げられる。平等は正しいが、何をしても結果は同じとなれば、自助努力の甲斐がなくなる。
中道とか、中庸とかいう考え方があるように、物事には何でも、程よいところがあり、極端にぶれればおかしくなるものである。だから思想、制度の是非を判断するには、それらを極端に推し進めた場合ではなくて、それらを程よく活用したらどうなるか、程よいバランスを長く保てるものかなどを見るべきである。
思想、制度の判断は、それらを極端にひずめた状態ではなく、通常の状態で判断しなくては仕方がない。
また、チャンスの平等と、結果平等は、密接に関連していて、どちらか一方だけを実現させ、もう一方は解消するということはできないものである。チャンスの平等を実現させようとすれば結果平等を認めなければならず、結果平等を否定すればチャンスの平等も消えるのである。
たとえば子供たちにチャンスの平等を与えようとするなら、家庭環境の格差は解消しなければならないし、結果平等を否定すれば、家庭環境の格差は容認されることになり、チャンスの平等も失われるという風に。
ようは、チャンスの平等も、結果平等も、どちらが正しく、どちらが間違いだというよりも、バランスの問題だということである。大川隆法はこういった点については、余りにも単純化し過ぎている。黒白をハッキリさせるのは簡単でいいけど、それでは真実は見えてこないのではあるまいか。


*第4章 正義の原理
本章の序盤では、個人の正義について、一般的に法律によって決められることが多いとしている。また法律には、殺すなかれというような宗教的な規範も入っているという。国家間の正義については、西洋のキリスト教国家と、中東のイスラム国家を例に挙げつつ、宗教的なテーマが関わっているという。
中盤では、憲法、法治主義、徳治主義などが説明されている。法律は有用ではあるが、何もかも法律で規制しようとすると、自由は失われ、かえって人を害することもあるので注意が必要だという。
終盤では、平等について語られている。格差については、あまりにも極端なものは問題だが、かといって格差をゼロにするのは無理だという。生存を支える部分については保護も必要ではある(p.212-213)が、個人の努力によって差が生まれるのは当然としているようだ。
結論としては、著者の考える正義とは、信仰と霊的人生観に根差したものであるらしい。また人の生命、財産、信仰を守ることが正義であって、そのために憲法は存し、場合によっては武力行使も辞さないという。
思うに、これらの主張は、著者がこれまで何度も繰り返してきたもののようだ。例によって、論点は沢山あって、話はあちこち飛んでいるが、どれもいつも通りの話なので、新味はない。
ただ著者は今回、生活保護の基準について、やや詳しく語っている。はっきり明言しているわけではないが、その生存を保障すればいいのであって、健康で文化的な生活までは保障する必要はないとしているっぽい感じだ。
怠けているわけではなくて、正当な事情があって生活に困っている人について、どこまで援助すべきかについては、いろいろな意見があるけれども、現代日本では、生活保護は生存できる程度で十分だというのは、かなり尖がってる考え方かなあとは思う。


*第5章 人類史の大転換
序盤では、霊性革命が大事であり、霊的人生観を持つことが必要であり、唯物論、自虐史観などは克服すべきとしている。
中盤は、世界情勢は、さまざまな価値観が入り乱れて不安定であるとしている。
終盤は、日本は神を信じ、神に近付くためにはどうすべきかを考え、宗教立国の精神に基づく国造りをすべきとしている。
全体の印象としては、めずらしく謙虚な言葉が多く語られているのが意外である。自分の英語をつたないとか、皆さまの力を借りるとか。
部分的に見た場合は、法律の考え方が普通と違ってるのは気になるところだ。立憲主義、法治主義を批判するのに、人権を無視した悪法が制定され、皆がそれに拘束されることがあるから、立憲主義や法治主義は万能とは言えないというような論法は、なんかおかしい。。
まあそういうことは絶対に起きないとはいわないが、そういう特殊な事例を持ち出して立憲主義、法治主義を貶めたって仕方ない。これについては、人権を無視した悪法は、立憲主義、法治主義の下でよりも、独裁国家で制定されることの方が多いものだ。また仮に、立憲主義、法治主義の下で、人権無視の悪法が制定されたとしても、司法判断という砦もある。
どう考えたって、大きな視点から見た場合、立憲主義、法治主義がもっとも無難である。完全ではないかもしれないが、他の主義よりは、危険性は少ないだろう。
こう言っては何だけど、大川隆法は自説の優位を強調するために、他を貶める癖がある。自由の正当性を主張するために、悪平等を持ち出して平等の価値を貶めるとか、信仰を優位とするために唯物論のマイナス面を強調するとか、神近き人による徳治主義の長所を強調しつつ、立憲、法治の粗探しをするとか…。
ようするに、自説の長所と、反対意見の短所をくらべて、自説の方が優れているという論法である。自説の短所と、反対意見の長所をくらべるようなことはしない。
他の思想、価値観を批判するのは結構ではあるけれども、それらを歪曲したり、極端に簡略化して極論に変えたりして、本来の形を崩したうえで、間違った思想であり、価値観だとするのはフェアではないし、知的誠実さに欠ける行為である。大川隆法のこういうところは好きになれないなあと思う。


*第6章 神の正義の樹立
本章では、大体、次のようなことが述べられている。

・世界は共通の価値基準を見いだせず混沌としている。
・自虐史観、日本悪玉史観に対する批判。
・イスラム教は、信者を増やしていること。
・イスラム国に、各地から義勇兵が集まっていること。多く集まってくるということは、何か惹きつけるものがあるにちがいないこと。
・特攻隊とテロとは異なること。
・中国の脅威に対抗するためには、防衛力が必要であること。
・神にはグレードがあること(宗教には優劣がある?)。
・神の正義を知るには、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』などを読むべきこと。

本章では色々なことが語られてはいるけれども、ようは、至高神エルカンターレ(大川隆法)の教えこそが、神の正義であるということのようである。
だから、神の正義を知るには、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』などの自著を読む必要があるとするのだろう。仏典、聖書、その他の古典などではなく、自著をすすめているところは、おもしろいなあと思う。


〈つづく〉