先日
とあるブログで
信仰が依存にすり替わってはいけないという話を読んだ
とあるブログで
信仰が依存にすり替わってはいけないという話を読んだ
振り返ってみれば
自分もそういう失敗をしたなあと思う
たとえば、とある宗教を、強く信じていたころは
その根本経典を、常に携帯していなければ落ち着かなかった
そのペンダントを、首にかけていなければ落ち着かなかった
そのペンダントを、首にかけていなければ落ち着かなかった
根本経典やペンダントからは
神の光が出ていて、悪霊を寄せ付けない
ということになっていたので、普段から身につけていたのだが
いつのまにか、それなしではいられなくなったのである
それを身につけていないと、悪霊に対して無防備のようで怖かった
ということになっていたので、普段から身につけていたのだが
いつのまにか、それなしではいられなくなったのである
それを身につけていないと、悪霊に対して無防備のようで怖かった
宗教の役割には
人に平安を与えるという一面があり
その便法として、お守り、お祓い、祈願などがあるのだろう
だからそういうことを頭から否定するつもりはない
その便法として、お守り、お祓い、祈願などがあるのだろう
だからそういうことを頭から否定するつもりはない
でも自分の場合は
根本経典や
ペンダントなど
お守り的なものがなくては
心配でたまらないという状態だったわけで
これはまさしく依存であって
ちょっと困った状態だったなあと思う。
ペンダントなど
お守り的なものがなくては
心配でたまらないという状態だったわけで
これはまさしく依存であって
ちょっと困った状態だったなあと思う。
だから、やたら恐怖を煽るんだよ。
依存心強いヤツばかりじゃん。
PKはダウジング依存。
NZKは霊能依存。
依存者しかいないぞ、KK。
tam
がしました