前々から、
宗教は時代に合わせて変えてもよいという意見には、
何となしに共感できなかったのだが、
本を読んでいたら、次の文章を見つけた。

信仰は便利を嫌うのである。困難でも残された方法があるのならひたすらその道を探せ、というのが信仰の心である。
(『皇太子さまへの御忠言』西尾幹二著、ワック株式会社、2008年、p.200)

これは
確かにその通りだなあと思える。

どうやら、
宗教は時代に合わせて変わるものだという意見に違和感があったのは、
その背後に、宗教は、暮らしに便利なように変えてもいい
という発想が感じられたかららしい。

でも最近は、宗教家でさえ、
宗教は、時代に合わせて変えてもいいと考える人がいるらしい。
本質さえ掴んでいるなら、些末な儀礼、戒律は、時代に合わせて改廃してよいというのだ。

これは一見したところでは、合理的であり、正論のようにも思える。
でも、物事というものは、些事に無関心であれば、
いずれは本質的なものも歪み、失われてゆくものではなかろうか。
宗教、文化、伝統、領土…みんな、そういうものではなかろうか。
こういうところは注意しなければいけないなあと思う。