先日、『ブラック・ジャック』を読み返してみた。
ブラック・ジャックとドクター・キリコでは、
どっちが正しいのかなあと思う。

ドクター・キリコが戦時中の体験から、安楽死を肯定するのは理解できる。
でも、弁があったとか、グマだとかは、間違えてたように思う。
ただこれは病気の原因、治療法が分かったからそう思うのであって、後付けの判断ではある。

ブラック・ジャックについては、患者の命を救おうとするのは理解できる。
でもそのために、脳移植だとか、母と子の体をくっつけるというと、なんか怖い感じがする。
それに、本間先生の話や、
ドクター・キリコから患者を奪い、治療したものの、結局、不運にみまわれた話を読むと、
命にこだわることの虚しさを感じないわけには行かない。

うーん。
やっぱり、
どちらが正しく、どちらが間違っていると断言するのは難しい。
どちらにも一理あるのは確かとしても、どちらも完璧とは思えない。

こういう場合、
何かの宗教を信じていれば、
その宗教に従えばいいから楽だろうけれども、
無宗教だと、自分なりの死生観を持ち、いろいろ考えなければならないから面倒だ。
でもだからこそ、自由であり、自分の人生を生きられるのかもしれない。
この辺りが無宗教のつらさであり、いいところでもあるのかなあと思う。