恥ずかしながら
自分は、さるカルトに入会してしまった過去がある
でも、どうにか、こうにか脱会することはできた

その理由について、つらつら考えてみるに
どうも考えすぎる癖があったせいかもしれない

たとえば
教祖の言行に矛盾があった場合、
信者を続けている人たちは、
「教祖様には、何か深いお考えがあるにちがいない」
などと考えて、それでおしまいにできていた

でも自分の場合は
その矛盾について、
「これこれ、こういう理由で矛盾のように見えているのだ」
などと説明をつけないではいられなかった

だから
矛盾が大きすぎたり、多すぎたりして
もはやその矛盾を説明できなくなったとき
信仰を継続できなくなったというわけである

神秘現象について、論理で解明できないならまだしも
道義的な矛盾というか、道義的に筋が通らないことには耐えられなかった
たとえば、悪口はいけないと言いながら、悪口を言いまくるとか
謙虚であれと説きながら、自画自賛、大言壮語がはなはだしいとか
こういう言行不一致が山ほどあってはどうにもならなかった…

自分が、カルトから脱会できたのは、いろいろな理由があるだろうけれども
この辺りのこともあるのかなあと思う。