以前は
死後の生を
強く信じていた
死後の生を
強く信じていた
でも近頃は
さほどでもない
死後の生は
あってもなくても
どっちでもいいかな
という気分になってきている
どっちでもいいかな
という気分になってきている
その理由を
つらつら考えてみるに
自我へのこだわりが
薄れたためかもしれない
自我へのこだわりが
薄れたためかもしれない
死後の生を、強く信じていた頃は
死んだら自分は無くなると考えるのは怖かった
でも
この怖れが薄まるにつれて
死後の生への期待も、薄まってきたらしい
死後の生への期待も、薄まってきたらしい
こういう変化を振り返ってみると
信仰とは、その者の願望を映す鏡である
というのは本当だなあと思う。
というのは本当だなあと思う。