自分がカルト信者だった頃を振り返ると
古典名著をよく読んでいたなぁと思う
古典名著をよく読んでいたなぁと思う
そうして
自分の信仰に合う文章を
見付けるたびに、喜んでいた
見付けるたびに、喜んでいた
「おぉっ! ここにも、教祖の教えと同じことが書いてある
やっぱり教祖の教えは、永遠の真理なのだ
自分が教祖を信じたのは正しかったのだ」
自分が教祖を信じたのは正しかったのだ」
こんな風に
当時の自分は、喜び、興奮してた
でも
今になって思い返すと
当時の自分は
自分の信仰の正しさを裏付ける言葉を求めて
古典名著を読みあさっていたのかもしれない
自分の信仰の正しさを裏付ける言葉を求めて
古典名著を読みあさっていたのかもしれない
もっとあからさまに言えば
偉人賢人の言葉を
自分の信仰の正当化に利用するエゴイストだった
自分の信仰の正当化に利用するエゴイストだった
これは本当に
偉人賢人には申し訳ないことだし、反省しないといけないなあと思う。