木の良し悪しは
その実によって判断されるというように

宗教の良し悪しは
その信者によって判断されるという考え方がある

信者におかしな人が多ければ、その宗教は間違っていて
信者に立派な人が多ければ、その宗教は正しいというのである

思うに
前者については一理あるけれども
後者については必ずしもそうは言えないのではあるまいか

たとえば
カルト教団の中には、戒律が厳しいところもあり
そういう教団の信者は、非常に礼儀正しく、真面目な人が多かったりする

これをみると
信者に、きちんとした人が多いというのは
その宗教の正しさを証明しているというよりは
洗脳、マインド・コントロールの激しさを表している可能性すらある

宗教によっては
信者に真面目な人が多いことをもって
自分たちは正しいと主張する教団もあるけど
こういう宣伝文句は、あまり真に受けない方が無難のように思う。