宗教を信じていて
教祖の言動に
何らの疑問も感じないときは
幸福なときである

教祖に忠実であることと
自己に忠実であることが
ぴたりと一致しているからである

でも
教祖の言動に
疑問を感じてくると
そういう幸福は失われて
深刻な悩みがはじまる

教祖に忠実であることと
自己に忠実であることが
ぴたりと一致しなくなるからである

こういう場合は
教祖に忠実であるために、自己に嘘をつくか
それとも、自己に忠実であるために、教祖に背を向けるか
どちらかを選ばなければならなくなる

ちなみに
自分の場合は
上の悩みに陥ったときは

あれこれ考えた末に
最終的には
神は、正直を喜ぶだろう考えて
自己に正直であることを選んだのだった

この選択が正しいかどうかはわからないが
自分は一応は、現代人なので
自己を捨てるという選択肢はありえなかったのだから仕方ない

思うに
現代人の多くは
はたと気が付いたときには
すでに自己があるわけだし
一度目覚めた自己は、もうそれを捨てることはできないし
そうであれば、近代前のように
自己を持たずに、すべてを宗教に捧げるなんてことは無理なんだろうと思う。