前記事で
怒るべきときには怒ることも必要だと書いたが
では怒るべきときとはどんなときだろう?

つらつらと考えてみるに
一番に思いついたのは『銀河鉄道999』のエピソードである
鉄郎は、自分のためには泣かないが
人のためには泣くという話があったように思う

これは怒りについても言えるのではないだろうか
鉄郎は自分のためには怒らないが、人のためには怒るというように

たぶん、怒るべきときとは
自分のためでなく、人のためにそれが必要とされるときなんだろう

ちなみに宗教者の中には
信仰を侮辱されたら怒るのが当然だという人もいるが
神は人に守ってもらう必要も、救ってもらう必要もない存在である

とすれば
この怒りは他者(神)のためのものではなく
自分(の信仰)を守り、救済するためのものだろう
これを義憤と呼べるかどうかは微妙と思う。