*地獄の話
先日、ツイッターで、地獄を脅しに使う宗教について話をした。
どうも残念なことに、そういう宗教は今でも少なくなさそうである。

「教団批判をしたら、死後は地獄に落ちる」という教義を持つ宗教はありますか?

この話をした後で思い出したのだけれども、『日本霊異記』の中に、
写経しているときに、まちがって蝋燭の火で、経の一文字を焦がしてしまったために、
その報いを受けた話があったように思う。
ほんの少しのミスも許されないというのは怖ろしい話である。


*地獄の絵本
地獄という脅しの効果といえば、しばらく前にニュースになった地獄の絵本を思い出す。
地獄の絵本を見せられた幼児らは、すごく怯えていて、これからは悪いことはしませんと誓っていたのだった。
その様子は、かわいらしかったが、痛々しくもあり、かわいそうだった。
カルト宗教に凝った親が、その宗教的信念によって子供を虐待する話もあるけれども、これもそれと似てるかもしれない。


*地獄の目的
こうしてみると、結局、地獄というのは人を操る道具なのかなあと思う。
しつけと称して、幼児に「悪いことはいけません。悪いことをしたら地獄に堕ちます」というのも、
宗教で、信者に「悪いことはいけません。悪いことをしたら地獄に落ちます」というのも、人をコントロールしようとしている点では同じだ。
ただ宗教の場合は、「教祖、教団を信じて従順でいなさい。そうでなければ地獄に堕ちます」という風に、
一般的な規範だけでなく、組織の論理が前面に出たりするので、より強圧的になる傾向はある。


*質が悪い
地獄というのは、この世のことではないから、あるとも、ないとも証明しきれないものである。
だから、「地獄に堕ちる」と言われれば、「そんなことあるわけないじゃん」と思いつつも、どことなく不安が残ったりする。信心深い人ほどそうなる。
たとえば、イカサマ霊能者から、「あなたには、悪いものが憑いています」と言われたら、それは嘘だと分かってても、何となしに気味が悪かったりする。
または、イカサマ占い師から、「あなたは、大変な運命を背負ってますね」と言われても、それはでたらめだと分かってても不安になったりする。
地獄を脅しに使う宗教は、こういう心理を利用しているのだろうし、ほんと質が悪い。


*宗教的な価値はどこにある?
政治の世界であれば、アメとムチによって、人を動かすというのは正当化され得るように思う。
でも宗教の場合は、本人が自主的に善を選ぶことにこそ価値を置くものではないだろうか。
「あれをしたら地獄に堕ちるから、やらない」
「これをしたら天国に行けるから、やる」
というような功利的な判断で、悪を捨て、善を取らせたとしても、はたしてそこに宗教的な価値はあるのだろうか。そんなことはないだろう。
古いタイプの宗教のなかには、いまだにアメとムチによって、信者をコントロールしようとするところもあるようだけども、いい加減にそういうことは止めてほしい。
これからの宗教は、もっと倫理的、道徳的に清くあってほしいものである。 〈了〉