*まえおき
先日、映画『さらば青春、されど青春。』を見てきた。
本作は、大川隆法の半生伝とのことである。
忘れないうちに、感想をメモしておきたい。
(以下は、ネタバレありです)


*冒頭
まずはじめに、光の塊が宇宙から地球に降りて行くシーンがあった。
多分、この光の塊はエル・カンターレ(大川隆法)の生誕を表しているのだろう。


*台詞の棒読み
大都会の中に立つ中道真一(大川宏洋)は、「このビルが本物か? 心の中の声が本物か? どちらをとるか?」というようなことを呟いていた。
台詞は棒読みである。
役者が下手なのか、それとも意図的な棒読みなのか、台詞が説明的すぎるために棒読みにならざるをえないのかは分からぬ。
ただ棒読みの台詞を聞き続けていると、だんだん慣れてもくるのは不思議である。人は習慣の生物だというが、これもそれかな?


*自然の映像はきれい
池、渦潮、空、桜、紅葉、菜の花など、自然の映像はきれいである。
ただ桜の映像は、同じようなのが何度か繰り返し使われているようだった。


*おつり五十円
中道真一は、喫茶店で受け取ったおつりが五十円多かったとして、帰り道を引き返して届けていた。
真一のしたことは、わりと普通のことだと思うので、そんなに感動しなかったけれども、それを素直に喜んでいるマスターには感動した。年をとっても、小さな善意を喜べるマスターはすごい。


*電車で一目惚れ
真一は、電車で見かけた南理沙(長谷川奈央)に一目惚れしていた。
でも彼女の自己紹介を必死でメモするのはやばかろう。というか、普通なら、惚れた相手の情報であれば、メモしなくても、すぐ記憶できるだろう。でもまあこれは、それほど彼女に夢中だということを観客に印象付けるための演出かな。
個人的には、ヒロインの隣りに座ってた子は可愛かったように思う。ちらとしか映らなかったのでよくは分からないが。


*チャラ男?
思うに、大川宏洋は学生役をするには、顔、体型、動きなどは老けてるかも…。
眉毛を整えすぎてるのは、不器用で真面目な役に合ってないのではなかろうか。この辺りの役作りは中途半端だと思う。
また真一は、堅い本ばかり読んでるけれども、大川隆法もそういう本を読んでいたのだろうか。


*さわやか男子
平野和彦(梅崎快人)は、真一とともに、テニスをするヒロインを見てたが、彼はテニスコートをのぞいてても、さわやかな雰囲気がある。
顔はすっきりしていて、背が高く、スタイルもすらりとしているせいかな。


*風の声
真一は、南理沙へのラブレターで、「この風の声を聞かないか」云々と書いているようだった。
でもこれって、村上春樹の『風の歌を聴け』に似た言い回しだ。
また、ヘッセの「シッダールタ」では、川の声を聞くエピソードがあった。
自然の声に耳を傾けるというのは、けっこうよくある表現のようではある。
ちなみに尾崎翠には、失恋絡みでこんな文章がある。

おもかげをわすれかねつゝ
こゝろかなしきときは
ひとりあゆみて
おもひを野に捨てよ

おもかげをわすれかねつゝ
こゝろくるしきときは
風とゝもにあゆみて
おもかげを風にあたへよ
(「歩行」尾崎翠)

これは、いい文章だなあと思う。


*女性を美化しすぎている
南理沙は、真一への返事(未投函)で、「あなたは私を美化しすぎている。でも私は普通の女」云々と書いてた。
これは高橋信次霊言で語られていたのと同じと思う。たしかそこでは、ジッドの「狭き門」について、主人公はヒロインを美化し、崇拝しすぎたゆえに、ヒロインは身を引くしかなくなった。ヒロインは自分の平凡さを主人公が知ったら必ず幻滅するだろうと考えた云々と言っていたかと…。
本作をみると、これは高橋信次霊の言葉というより、大川隆法の言葉だったのかなあと思う。


*不思議な夢
唐突に、蓮の池のシーンがはじまったときは驚いた。でもこれは、いわゆる夢オチのようだ。
夢から覚めた真一の一言「不思議な夢だったなあ」というのはおもしろい。かなりの棒読みである。
ここは、いちいち説明調の台詞をいわせるのでなく、小首を傾げるなどの仕草、表情で十分だったように思える。


*釣り
釣りのシーンは、どうも違和感があった。
清流釣りは普通、一本竿で立ってやるものだろう。
見たところ、中道真一も、その父親も、フライの仕掛けのようである。フライであれば、なおさら立ってやるものだろう。
親子で座って釣りをしてる風なのはおかしい。
この場面は、親子で立って釣りをしてたが、一休みして話を始めたという流れも必要だったのではあるまいか。


*キャラ設定
真一は、真面目な男という設定のようである。おつりの五十円を、次の機会でなく、その日のうちに返しに行くくらい、他者への心遣いができる人物とされている。
でもその真一は、公園のベンチで靴を履いたまま寝転んでいた。座るところを土足で踏んでいたようでもある。
また他者を見下す発言をしていた。そのことで反省したのは、ずいぶん経ってからである。
さらには、鉢植えを、公園の芝生をはがして植える場面もあった。
このあたりは、キャラ設定が揺らいでいると思う。
おつりの五十円を返しに行く人であれば、土足でベンチに寝転んだり、他者を軽んじるような言葉を吐くのは妙である。仮にそんなことを言ってしまったとしても、すぐに気が付いて謝るだろう。また自分の鉢植えを公園に植えるなんてしないだろう。


*レオン
ところで、『レオン』では、マチルダが鉢植えを児童施設? の庭に植える場面があった。
これは、マチルダがそこに根付いて、地道に生きるということを象徴してるっぽい。
でも真一は、米国を去る時に、植木をその地に植えていった。これは何を象徴しているのだろうか。
心はここに残してゆくということ? それとも、また戻ってくるということ?
どうもよくわからん。


*お母さん
お母さんが真一のことを心配し、無事を祈っている姿は泣けた。
この場面は、本作ではもっとも切ない場面だと思う。


・職場でのいじめ
会社内でのいじめエピソードは、マンガ的すぎるように思う。主人公が、小者から嫉妬され、嫌がらせを受けるというのは、「エースをねらえ!」「花より男子」などで使われている。
またこういう展開は、主人公が好感を持てる人物であってこそ成立する。岡ひろみ、牧野つくしのように、誰もが同情し、応援したくなるキャラだから成立する。
でも真一は、平気で他人をバカにするところがある。また人に謝るときも、どこか嫌味なところがある。世間に疎く、空気を読めないのはよいとしても、他人をバカにしたり、嫌味な性格はだめだ。これでは周囲からいじめられていても、同情したり、応援したりする気持ちになりにくい。
この辺りの設定、表現は、失敗してると思う。


*変人
こういってはなんだけど、変人には、嫌われる変人もいれば、好かれる変人もいるけれども、執拗に嫌がらせを受けた真一は後者と思う。


*日蓮である!
真一は、家族の前で、霊言をやってみせていた。
「日蓮である!」と宣言したときは、思わず吹き出しそうになってしまったというのが正直なところである。


*やってやろうじゃないか!
真一が、「やってやろうじゃないか!」と猛烈にやる気を出す場面はおもしろい。この唐突感と、バックに流れる元気のいい曲は愉快である。
この場面は、本作でもっともおもしろい。


*アリシア
この外国人女性は、真一を遠くからそっと見つめているタイプである。淑やかで、物静かなキャラらしい。
そういえば、大川隆法の本で、ニューヨークの女性の美しさについて語っていたのを読んだ覚えがある。


*生活費
喫茶店での父子の会話を聞いていると、生活の糧をいかにして得るかで相当に悩んでいたようである。
映画全体でも、夢とか、使命とか以上にお金の話はけっこう多い。
こうしてみると、霊言集の出版には、その辺りの期待も少なくなかったのかもしれない。


*交通事故に遭った子供
真一は、交通事故に遭った子供を祈りによって快復させていた。
何かの伏線かとも思ったが、そういうわけでもなかったらしい。
こういうシーンは、キングの「グリーンマイル」を思い出させる。


*岡潔「日本のこころ」
岡潔の「日本のこころ」は、真一と額田美子(千眼美子)を結びつける小道具として使われていた。
大川隆法は、岡潔を愛読していたのだろうか。もしそうなら、ちょっと分かるような気がしないでもない。


*セクハラ
上司は、真一がすでに美子と知り合っていたことを知った時に、女に手が早いとか何とか言っていた。
こういうセクハラ発言は、映画で聞いても不快だ。


*名古屋
食堂前で、真一と美子が話をするシーン。
背景の自販機のデザインは、昭和を感じさせる。
美子の方から、唐突に真一を誘うのはおもしろい。


*語らい
真一と美子の二人を見ていると、美子の方がリードしているようである。
食事をする店を選ぶのも、「ちょっと座りません?」というのも。
ヒールのせいもあるだろうが、二人の背丈がほぼ同じというのも象徴的である。
でも美子は、実質的には男性をリードしていながらも、控え目で、可憐な乙女の雰囲気を出している。


*破局
二人が別れるときの会話は、こんな感じだったかと…。
「愛する女性を幸福にできないなんて僕には耐えられない」
「本当のこと言って」
「ごめん」
「あなたの人生に、私は入れないの?」
美子はあくまで可憐な乙女キャラで終始してるのは興味深い。
理沙も、アリシアも、この点は同タイプである。
ちなみに、『永遠の法』のヒロインである夕子のキャラも、これに同じタイプだ。
詩集「愛のあとさき」に描かれている女性も同じ。
この辺りは、大川隆法が考える「女らしさ」がよく分かる。


*もしかしたら…
ちょっと思ったのだけども、上の台詞に対しては、こう言い返したくなった人もいるかもしれぬ。
「私が幸福かどうかは、私が決めることです。あなたが決めることではありません。もしあなたが、私のことを幸福にも、不幸にもできるとお考えなら、それは思い上がりというものです。
女の中には、男によって幸福になり、また不幸になる人もいるかもしれません。でも私はそういう女ではありませんし、そういう女だと思われたくもありません。
どうやら私は、あなたのことを見損なっていたようです。今のあなたの言葉で、それがはっきり分かりました。あなたは素晴らしい方だと思います。あなたにふさわしい方は、きっとどこかにおられると思います。でもそれは決して私ではありません。さようなら。あなたの幸福を祈ってます」云々


*いちご白書のポスター
破局の後、遠くから真一を見守る美子の傍には、いちご白書の破れたポスターが貼ってあったのはよかった。
これより前に、二人で同映画を見て、にこにこしている場面があったので、破れたポスターが何を象徴しているかは分かりやすくてよい。
失恋の後の雨は、基本通りの展開だ。


*悪魔との対決
真一は悪魔との対決を経て、宗教をはじめるが、この場面での演技は上手い。
大川宏洋は台詞は棒読みすぎるところは多々あるが、悪魔に取りつかれる演技は上手い。


*まとめ
本作は、大川隆法の伝記的な作品というが、どこまでが事実であり、どこからが脚色であるのか、その境界は判然としない。
ただそうはいっても、本作に描かれた中道真一は、大川隆法にとっての理想像なのだろうなあとは思う。
大川隆法は、中道真一のようになりたかったのだろうし、他の人たちには自分は中道真一のような存在だと思ってほしいのだろう。
というわけで、本作は映画としては評価はさまざまであろうけれども、大川隆法の理想、願望を知るにはよい作品である。
この意味で、すでに各所で指摘されていることではあるが、本作は信者とアンチのための映画だというのは至言である。


〈了〉


・映画『君のまなざし』
・映画『UFO学園の秘密』