以前は
信仰に疑問をもつと
神から遠退いた気がした
でも
近頃は
疑問をもつほどに
神に近付いている気がする
どうしてだろう?
あれこれ考えてみるに
疑問をもつことは
神でないものを
退けることに
通ずるからだろうか?
神でないものを
神であると誤認して
偶像崇拝に
陥る危険を
防ぐからだろうか?
ううん
やっぱり
どうも
よく分からない
ただ一つ
ハッキリ
していることは
疑ってもなお
神を感じるという
感覚からすると
疑いというものは
必ずしも
神から遠ざかることでない
ということである
科学は
懐疑によって
進歩するというけれど
宗教についても
同じことが言えるところもありそうだ。
*追記 20181118
キリスト教では、否定神学というものがあるという。
これは難しそうであるが、大いに共感できそうでもある。
神とは真の自己ですね。デカルト的にすべてを疑って、「われ思うゆえにわれあり」のときは、極めて真の自己に近づいているので、神に近づいています。
哲学的に理性で神を捉えたのはヘーゲルです。自己の思考をどこまでも対象化することによってです。
神は誰それの言う神を信じるのではなく、自分の心の奥に存在する真の自己とすれば、宗教依存症にはなりません。
tam
がしました