ブログ、ツイッターなどを見ていると、あちこちで、宗教上の議論が行われている。
それらを見ていると、「自分は分かってる」「自分は知ってる」とでも言いたげな人は、案外に多いようだ。

と言いつつも、実はかくいう私自身もそうなのだから情けない。とほほ。

特に、とある新興宗教を信じていたときはひどかった。
「自分は神を知った」「自分は真理を知った」というように思い込んでいたのだった。

これは裏返してみれば、こんな風にもなった。
「彼は神の何たるかが分かってない」
「彼は真理を分かってない」

さらには次のように変化もした。
「彼に神の何たるかを教えてあげよう」
「彼に真理を教えて、導いてあげよう」

こういうことは、今にして思えば傲慢にもほどがあるし、恥ずかしくてたまらない。
できれば、知らんふりして黙っていたいことではあるが、事実は事実であるのだから仕方がない。

大概の宗教には、「高慢はいけない。謙虚であれ」「神も、真理も、容易には知ることはできないものである」というような戒めはあるとは思う。

でもその一方で、宗教には人を選別し、選民思想を植え付けるものもある。
「善人は天国に、悪人は地獄に堕ちる」
「選ばれた者だけが、この真実の宗教を信じることができる」
「宗教は正邪、善悪を分ける基準を教えるものである」
「この教えによって、神とは何か、真理とは何かを知ることができるのだ」などなど。

宗教を信じることで、かえって人が悪くなるというのは、この辺りに原因があるのかもしれない。自分は調子に乗りやすいところがあるので、気を付けたいと思う。  〈了〉