人は死ぬときに、自分の一生を走馬燈のように見るという話がある。
また人は死んだ後、あの世に還ってから、自分の一生をスクリーンにうつして見せられるという話もある。この時は、先に亡くなった親類縁者もやってきて、みなで一緒に見るという。
これって本当のことなんだろうか?
まあ実際のところは、死んでみなくちゃ分からないけれども、前者はいいとしても、後者はいやだなあ。
これじゃあ、プライバシーもなにもあったもんじゃない(笑)。
これじゃあ、プライバシーもなにもあったもんじゃない(笑)。
聞くところによると、カトリックの神父には守秘義務があって、告解(懺悔)で聞いたことは他では話さないのだという。
弁護士や医師も、同様に、依頼人や患者のことは無暗に話してはいけないという。
地上でさえ、このようなルールがあるというのに、死んであの世に還った途端に、自分の一生…恥ずかしい部分も含めてすべてをさらされるというのは、なんか変だ。
霊人たちも、他人の人生をのぞき見たいなんて、そんな破廉恥なことは考えないだろう。
仮に、そんなことを望む霊人がいたとしたら、それは天国の住人ではなかろう。
仮に、そんなことを望む霊人がいたとしたら、それは天国の住人ではなかろう。
と、こんなことを書くと、「他人に見られて恥ずかしいことがあるから、そう思うのだろう」と言われてしまいそうだが、正直にこたえれば、まったくその通りではある(笑)。
でも上で述べた通り、天国の住人は、他人のプライバシーを見ようとはしないだろうし、もしそういう催しが成立するとしたら、そこは天国ではないような気はする。
スピリチュアル系の話によれば、あの世には、類は類を呼び、似た者同士が集まる法則があるという。
もしこれが本当であるならば、自分の一生を見せたい、他人の一生を見たいという霊人たちは、みなで集まって、この種の催しをするかもしれないが、そうでない霊人には無縁のことだろう。
願わくば、自分に縁がある霊人たちは、プライバシーを尊重する人々であってほしいものである。〈了〉