自分の過去を振り返ってみると、以前は、一つの宗教思想に感動、共感すると、「これこそ真実だ!」と短絡的に考えてしまいがちであった。
すごく思いつめてしまって、考えることも、することも、自分のすべてをその宗教思想に合わせようと頑張ったりもした。

旧日本軍では、慢性的な物資不足であり、兵隊一人ひとりの足に合った軍靴を配給するのは困難だったため、「軍靴に足を合わせろ!」とハッパをかけたという話もあるが、
それと同じように、これが真理だと見込んだ宗教思想に、自分を合わせようとしたのである。

でも近頃は、そういうこともなくなってきた。
新しい宗教思想を知っても、A教ではこう言ってるが、B教ではこうだという具合に、すぐに相対化してしまうようになった。
いってみれば、日本書紀の「一書に曰く」とか、歴史本の「諸説あり」というようなものである。

自分で言うのも何だけど、
こういうことは、「これこそ真実だ!」と、一つの宗教思想にのめり込んで妄信に陥ることを防ぐためには、とてもいい傾向に思える。

ただ難点をいえば、何事にも夢中になることができないということかな。
でもこれは年を取ったということでもあり、ある意味、仕方ないのだろうなあとは思う。

そういえば、『マリア様がみてる』には、「片手だけつないで」という話があった。
その内容は、恋人を愛しすぎて二人だけの世界に没入してしまい、他者からの注意には耳を貸さなくなった結果、恋人も自分も傷つけてしまった少女が、
二度と同じ過ちを繰り返さないために、新しい出会いのときは、相手とは適切な距離をとり、片手は他の人々とのつながりを失わないように開けておこうというもの。
これは、人間関係についてだけでなく、宗教思想についてもいえることなのだろうと思う。

〈了〉