自分がカルトに引き付けられた理由について、つらつらと考えてみるに、
他所でも指摘されていた通り、神秘・超常への興味関心が強かったということはありそうだ。

思い返してみれば、自分がひきつけられたカルトでは、次のような宣伝をよくしてた。

・今、天上界の秘密が明かされる
・××の過去世は、△△だった
・神は、現代社会を見て、何を語るか
・輪廻転生の仕組みとは?
・人類誕生の秘密
・人類の祖先は宇宙からやってきた?
・悪霊憑依の原理と、悪霊撃退法
・霊界の真実とは?
・地獄界の生れた理由

一般人からみたら、こういうことは馬鹿馬鹿しいことだろうけれども、神秘・超常現象に興味があった自分にとっては、これらのタイトルはその内容を知りたくて、うずうずしてしまうものだったのである。

こうしてみると、自分がカルトにハマってしまったのは、神秘・超常現象などに興味を持ち過ぎていたことが一因になっていたのは確かではある。

以前は、神秘主義・オカルトなどが、禁忌事項とされる理由はよくわからなかったが、今になってみると、それがよく分かる。
そういう方面には、あまり深入りしないのが一番である。

〈了〉





*コメント欄のコピペ
(yahoo!ブログからの移行時に、最新20コメより前のコメは移行されなかったので、その部分も含めてコピペ)



コメント(22)
顔アイコン自由さん おはようございます

「自分がカルトにハマってしまったのは、神秘・超常現象などに興味を持ち過ぎていたことが一因になっていたのは確かではある。」

旧約・伝道の書
3:11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

私たちの心には確かに永遠を思う思いがあります。しかし、永遠なる神のその時にかなってなされる業を見極めることが出来ないのですが、やはり知りたいと思う心の願いが「神秘・超常現象などに興味を持ち過ぎていたことが一因になっていたのは確か」ではないでしょうか。それも人が神によって神のかたちにかたどって造られた存在であることを示していないでしょうか。
2019/1/28(月) 午後 0:42[ shalom ]返信する

顔アイコン遊園地や雑踏で親を見失った子どもがおろおろし泣き叫ぶ姿に出会ったことがあります。その時私が声をかけても、目はうつろであちこちさまよっていて、私の声があまり聞こえない様子が目に浮かびます。そんな子が親に出会うときの安堵した姿はやはり親でなければ与えることのできない安心、喜びでしょう。
私も50才の時、生まれ故郷である水俣病の発祥の地水俣の有機水銀を垂れ流した会社の社宅を訪ねました。もう社宅はありませんでしたが、もし、私が生後10カ月ほどで水俣を離れていなければ、きっと水俣病にかかっていたかもと思われます。水俣の海で捕れた魚をトロ箱で買って食べ、生活していたと母親に聞いたことがあります。また、母親は時々、私はコモに包まれて水俣の海岸に流されてきたのだと言っていました。冗談で言ったのでしょうが、繰り返して聞くうちに何となく、本当に自分は両親の子どもだろうかという不安を抱いていたのではないかと思います。
戦後の生活難の時代生活力は旺盛でしたが、物凄くきびしい母親でしたから。
2019/1/28(月) 午後 0:44[ shalom ]返信する

顔アイコンですからわざわざ市役所の市民課に行って親が出した出生届けを見せてもらったのかなと思い返されます。確かに見覚えのある父親の筆跡で書かれた出生届けを見て、ほっとしたことを今も覚えています。市役所の人が怪訝な顔をしながらも、私が生後はじめて水俣を訪ねたことを話すと、古い出生届けの束を探し出してくれたことがうれしかったですね。
自由さんが長年大川さんの本を読み、霊的人生観に惹かれたことも自由さんの心の深い思いからなされたことだと思いますが、私は人間らしい思いであり、願いであったと思います。20年余りの歳月をむなしく過ごしてしまったという思いもあればこそ、○○は××のためだったと合理化したい気持ちも当然だと思います。すべてそういうことも含めて、そのようなプロセスも初めから終わりまで見極めることのできない神の御手のなかで導かれたのではないかと、私は私の体験からそう思うのですね。
そして私はそのよう自由さんとこうして出会い、良い交わりへと導かれ、今日があることを本当に喜び、感謝しています。
ありがとうございます!
2019/1/28(月) 午後 0:44[ shalom ]返信する

顔アイコンうーん、そこは少し違うかな。
霊的人生観、霊性進化論をはじめて知ったのは高橋信次で、つぎに大川本を知って、幸福の科学に入会して活動するものの、じきに疑問をもち距離を取って休眠し…という流れですね。
2019/1/28(月) 午後 8:43[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン人の本質は霊であって、輪廻転生をしつつ、霊性の向上を目指しているというのは、20年くらいは当然のこととして信じていたし、今でも完全に脱したわけではなくて、ちょっと引きずってはいるけれども、さすがに大川隆法を20年も信じ続けてはいないですね。
2019/1/28(月) 午後 8:44[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン今にして思い返せば、自分は、「あなたの知らない世界」とか、心霊番組などがすきで、なおかつ人生哲学みたいなうんちくもすきだった。

だから、霊的なこととともに、人はかく生きるべしと説く霊性進化論にハマったのかもね。

でも最近は、霊的なことへの関心も、人はかく生きねばならぬという意識も薄れてきてるから、霊性進化論も前ほど興味がなくなってきたという…。

霊性進化論を信じなくなったというより、興味関心がなくなってきたという感じ。
2019/1/28(月) 午後 8:57[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>人はかく生きねばならぬという意識も薄れてきてる

これは個人的に自分はこう生きたい、ああはなりたくないというのはあるけれども、万人が従わなければならない生き方、価値観とかはあまり求めなくなってきたということ。
2019/1/28(月) 午後 9:21[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 自由さん 今日の最後のコメントです。

「これは個人的に自分はこう生きたい、ああはなりたくないというのはあるけれども、万人が従わなければならない生き方、価値観とかはあまり求めなくなってきたということ」

私の信仰の体質は無教会といえると思います。
無教会という教会ということでしょうか。
内村鑑三の本を好んでよく読んでいました。

また私は福音は人による宗教ではないという思いをもっています。宗教嫌いだということもできるかもです。イエスさまも教会主義者ではなかったと思っています。
ユダヤ教指導者の怒り、不信を招いた原因でもあります。
イエスは荒野や丘の上、湖の畔が教会でした。
私も教会にいた時よりも今が自由で好きですが、教会がキリストの生ける身体であることはむしろ今の方が実感しています。
「万人が従わなければならない生き方、価値」ではなく、あくまでもイエスによって導かれた生ける神との関係において私がいかに生きるべきかということが切実な課題です。
2019/1/28(月) 午後 10:25[ shalom ]返信する

顔アイコン誰かさんの弱みにつけ込んで、シャロームの偽善者としての強心臓が、ずっと表れて続けています。どんなに不都合なことが起こっても、起こった出来事の事実そのものを記憶から排除できるのでしょうか。そのような無視の能力を、いったい、どこから吹き込まれて、また、できるんだという確信のもとに、記事を書き続け、コメントを書き続け、偽善の罪状を、天にも地にも積み重ねてゆくのでしょうか。
2019/1/30(水) 午後 1:43st5402jp返信する

顔アイコン聖書に聖霊や霊感のことが書いてあれば整合性があるからいい、というものではないのです。聖なる存在には、常に、恐れをいだいていなければいけません。聖書に書いてあるからと、聖霊の名をみだりに使ってはいけません。
2019/1/30(水) 午後 1:43st5402jp返信する

顔アイコン「とどまっていなさい」とは、シャロームのように固定して訂正不能でよいということでは決してありません。「だれから学んだか知っており」「あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて」とあるように、学んで準備をする務めがあるのは言うまでもないことです。不完全な罪びととしては、学習可能、修正可能であることが必須なのです。

聖書は救いで、整えられたものになる、と聖句は言っています。ここは、聖書に書いてある、聖書の言葉と整合している、と言って悪用する者が出てきそうです。シャロームが載せていない直前の聖句を見てみると、

(テモテへの手紙、口語訳)
3:12
いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
3:13
悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
(テモテ3:12-13、新約聖書)
2019/1/30(水) 午後 1:44st5402jp返信する

顔アイコン超常神秘への興味が神に造られた存在を示すと言っていますが、興味から信仰は生まれません。信仰も信仰の必要性も知らない者の発言でしょう。

人の親と子、という関係で、神と人の関係を語れるでしょうか。人の親と子は、元々親と子として馴染んできた経緯があるから、安心するのです。神と人の間に、信仰以前にそういう関係は自覚されていないはずです。親子に譬えれば、説明になるだろうというシャロームの安易さが表れています。元々の自覚が人の親子とは違うから、自由意志による信仰告白が必要なのです。
2019/1/30(水) 午後 1:48st5402jp返信する

顔アイコン信仰と何の関係があるのでしょう。親子と、公害と、お飛び話と、昔語りの身の上話なら、好印象で、受け取られると思うのでしょうか。シャロームは、信仰をそういうものと同等に考えているのでしょうか。カルトと真実の信仰という対比が必要な重要なテーマなのですが、もう一度言いますが、いったい何の関係があるのでしょう。
2019/1/30(水) 午後 1:49st5402jp返信する

顔アイコンカルトの説教が人間らしいと言っています。カルトの説教の人間離れに気づくことこそ、カルトに陥らないために大事なことなのです。自分がカルト思想を持っているからでしょうか、シャロームは、人間らしさも、人間に可能な宗教も、が分かっていないようです。いつも、的の外し方が驚き呆れるシャロームの見解なのです。まるでカルトに誘っているような発言。
2019/1/30(水) 午後 1:49st5402jp返信する

顔アイコンシャロームは、神の御手の中で導かれたと言っていますが、その結果が、平気で嘘を吐き、悔い改めず、罪を認めず、深く感じることも考えることも出来なくなった今のシャロームなのです。
2019/1/30(水) 午後 1:50st5402jp返信する

顔アイコン>
「これは個人的に自分はこう生きたい、ああはなりたくないというのはあるけれども、万人が従わなければならない生き方、価値観とかはあまり求めなくなってきたということ」


生き方や価値観を求めなくなったというのも、騙され過ぎて、めんどくさくなっているのか、自由を求めているなら、小さくない問題だとは思いますが、キリスト信仰は生き方や価値観という単純なものではありません。

キリスト信仰は、こう生きよ、とか、価値のあるものは?、とかいう問題ではなく、交わり、関わり、絆、縁、というような、言葉では表せない人間的で情緒的な本質を持つものです。
2019/1/30(水) 午後 1:55st5402jp返信する

顔アイコン>
そして私はそのよう自由さんとこうして出会い、良い交わりへと導かれ、今日があることを本当に喜び、感謝しています。
ありがとうございます!


ここまでの文章を読んだ後では、ますます、背筋が寒くなるほど、浅ましく白々しく、わざとらしく、芝居がかったシャロームの社交の世辞です。
2019/1/30(水) 午後 1:55st5402jp返信する

顔アイコンシャロームの今までの言動で明らかになっていることとして、殆ど読解力もないことから、内村鑑三を読んだというのも疑わしく、シャロームは、無教会派でも別の教派でもなく、低劣で幼稚な妄想を、辛口でなく騙されやすい人を相手に、キリストと神の名をみだりに使って広めようとする偽善者です。
2019/1/30(水) 午後 1:56st5402jp返信する

顔アイコン>
また私は福音は人による宗教ではないという思いをもっています。宗教嫌いだということもできるかもです。


シャロームは、宗教嫌いではなく、宗教も信仰も、まるで分っていない人です。知らないから、何でもありで世辞を言いますが、人を救えるような何事も受け取ってはいません。
2019/1/30(水) 午後 1:56st5402jp返信する

顔アイコン>
イエスさまも教会主義者ではなかったと思っています。
ユダヤ教指導者の怒り、不信を招いた原因でもあります。
イエスは荒野や丘の上、湖の畔が教会でした。


イエスが教会主義ではなかったと言ったあとで、丘の上、湖の畔が教会と言っています。シャロームの言う教会は、建物として捉えているだけのようです。キリストの名によって人が集まれば、そこが教会なのです。

(マタイによる福音書、口語訳)18:20
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである
2019/1/30(水) 午後 1:57st5402jp返信する

顔アイコン教会を行けるキリストの体という分かりにくい言葉を、聞いたことがあるから、言っているシャロームですが、いかに生きるべきかということが切実な課題であるなら、神の前に、正直に罪と偽善を認めて、正直に悔い改めているはずです。

シャロームは、インチキです。

それを表すのに、これ以上の証拠がいるでしょうか。騙されないようにしてください。
2019/1/30(水) 午後 1:57st5402jp返信する

顔アイコン※ TVドラマ「クリミナルマインド」での格言
https://twilog.org/cminds_bot

人はみな仮面をかぶるが、長くかぶり続けると皮ごとはがさないと外れなくなってしまう。
アンドレ・ベルティオーム(S6#4)

あなたの右の眼が罪を犯させるなら、抜き出して捨てなさい。 マタイによる福音書第5章20節(S5#6)
2019/1/30(水) 午後 1:57st5402jp返信する