地獄について調べてみると、実にさまざまな地獄があるようだ。
これはつまり、人の犯す罪は、それほど多いということなのだろう。
自分のことを振り返ってみても、たくさんの間違いがあるし、どの地獄にも縁があるっぽいのはつらい。とほほ。
*
地獄の中で、どれが一番怖ろしいかを考えてみると、やはり痛いのは避けたいなあと思う。
痛いのは単純にいやだし、激痛に襲われたら、何も考えられなくなったり、体を動かせず、どこにも逃げられないのもいやだ。
あとは、何かに追いかけられて逃げ惑うのもいやだ。
これは悪夢でよくあるパターンだけども、その手のものは精神的ストレスが激しいし、そんな状態が何百年も何千年も続くとしたらきつすぎる。
ようするに、結論としては、地獄はどこもいやだということか…。
*
ああそうだ。
思い起こしてみれば、地獄の話で、もっともゾッとしたのは、地獄に堕ちてもそのことに気付けない人がいるということだったかもしれない。
たとえば、カルト信者の中には、集団で地獄に堕ちているにもかかわらず、「自分たちは正しい宗教を信じたのだから、今、天国にいる」と思い込んでいる者たちがいるという話はすごくゾッとさせられた。
彼らは、救いの天使が近づいても、「悪魔が、天使のふりをしているだけだ。我々を騙して、地獄に引きずり込もうとしているのだ」と考えて、追い返してしまうというのだから悲惨である。
でも、これはまさに、現実社会における、カルト教団とカルト被害者の会との関係のようでもあるし、
「天国地獄は、あの世ではなく、今現在ここにある」というのは、この点、真理なのだろうと思う。
*
自分が地獄にいると自覚できれば、そこから抜け出そうとするわけだから救われる可能性は高くなるが、
自分が地獄にいると気付けなければそこから抜け出すつもりになるわけもなく、救われる可能性はゼロに近くなるのは道理ではある。
結局、地獄の怖ろしさとは、この辺りにあるのかなあと思う。
〈了〉