*道徳心のはじまり
最近は、
「人は、どのようにして道徳心を持つようになったのだろうか?」
「動物にも道徳心はあるのだろうか?」
というわけで、本書を読んで気になった箇所を抜き書きしてみる。まずは、ここ↓
最近は、
「人は、どのようにして道徳心を持つようになったのだろうか?」
「動物にも道徳心はあるのだろうか?」
ということに興味があるのだけれど、なんか、いい本はないかなあと探してたら、面白そうな本を見つけた。
タイトルは、『動物たちの心の科学 仲間に尽くすイヌ、喪に服すゾウ、フェアプレイ精神を貫くコヨーテ』という本である。これは自分の興味と完全に一致。というわけで、本書を読んで気になった箇所を抜き書きしてみる。まずは、ここ↓
道徳は進化によって獲得される特徴と見なせるのだろうか? 「フェアであること」とは、進化的な適応を意味するのか? つまり、より道徳的な個体は、繁殖成功度が上がり、そうでない個体は下がるのだろうか? 言い換えると、もっとも有徳な個体が生き残る可能性がもっとも高く、その遺伝子はより長く繁栄するのだろうか?(『動物たちの心の科学』マーク・ベコフ著、高橋洋訳、青土社、2014年、p.149)
この辺りは、まさに自分の興味津々なところだ。
これについて著者は、イヌ、コヨーテなどを例に出して、ルールを守らない個体や、他とコミュニケーションをうまく取れない個体は、群れから排除されること、群れから排除された個体は、群れに留まる個体よりも生存率が低いことなどを語りつつ、次のように結論づけている。
これについて著者は、イヌ、コヨーテなどを例に出して、ルールを守らない個体や、他とコミュニケーションをうまく取れない個体は、群れから排除されること、群れから排除された個体は、群れに留まる個体よりも生存率が低いことなどを語りつつ、次のように結論づけている。
人間であれ動物であれ、グループの行動規範を学習し公正に遊ぶ個体は、生存し繁栄する確率が高い。どうやら道徳は、個体の適応度を向上させるがゆえに進化したように思われる。(同上、p.173)
繁殖期の動物は、交尾をしようとするオスとオスとが争い、健康で力の強い方が勝ち、メスを獲得して子孫を残すという流れになっているイメージがあるけれども、実際のところはそんなに単純ではないらしい。
動物も、人間と同じく、いくら腕力があったところで、まずは集団のルールを守り、コミュニケーション能力がないと、そう易々とは良いパートナーは得られないということなのだろう。
これは動物も大変なんだなあと思えるが、動物にも心があるとすれば当然のことではある。
動物も、人間と同じく、いくら腕力があったところで、まずは集団のルールを守り、コミュニケーション能力がないと、そう易々とは良いパートナーは得られないということなのだろう。
これは動物も大変なんだなあと思えるが、動物にも心があるとすれば当然のことではある。
*万物の霊長
ここで著者は、人間は、動物とは異なる特別な存在だというのは間違いだとうったえているらしい。
ここで著者は、人間は、動物とは異なる特別な存在だというのは間違いだとうったえているらしい。
人間を他のすべての動物よりすぐれた存在と見なしたい人々が、動物が道徳を持つ可能性に脅威を感じる理由は、そう考えた途端、人間の特別な地位が脅かされるように思われるからだ。人類はもっとも有徳な生物であるという考えは、一般に宗教に由来する。そのため、動物が道徳的たり得るということは、深い宗教的な信念に反するものとしてとらえられる。(同上、p.155)
実を言えば、自分も、人間は万物の霊長であると考えていたクチである。人間の精神性は、動物よりもずっと優れていると…。
でも、イヌなどを見ていれば喜怒哀楽の感情があることはすぐ分かるし、善人と悪人、善行と悪行の区別もついてそうではある。忠犬ハチ公のエピソードは心にしみる。こうしてみると、人間と動物との間に、きっぱり線引きをすることは無意味であるように思えなくもない。
ちなみに本書には、大好きだった飼い主が亡くなった後、元気を失い、家にひきこもりになり、そのまま死んでしまったイヌの話(p.120)、ヒヒの集団が、仲間が車に轢き殺された後、三日間道路の脇で待ち伏せし、再び同じ車が通りかかると、いっせいに石を投げた話(p.143)、ゾウが死んだ仲間に対して、まるで埋葬するかのように長い時間をかけて土や枝をかけてその体を覆った後で立ち去った話(p.121)など、いろいろな事例が紹介されている。
でも、イヌなどを見ていれば喜怒哀楽の感情があることはすぐ分かるし、善人と悪人、善行と悪行の区別もついてそうではある。忠犬ハチ公のエピソードは心にしみる。こうしてみると、人間と動物との間に、きっぱり線引きをすることは無意味であるように思えなくもない。
ちなみに本書には、大好きだった飼い主が亡くなった後、元気を失い、家にひきこもりになり、そのまま死んでしまったイヌの話(p.120)、ヒヒの集団が、仲間が車に轢き殺された後、三日間道路の脇で待ち伏せし、再び同じ車が通りかかると、いっせいに石を投げた話(p.143)、ゾウが死んだ仲間に対して、まるで埋葬するかのように長い時間をかけて土や枝をかけてその体を覆った後で立ち去った話(p.121)など、いろいろな事例が紹介されている。
*ダーウィン
どうやら著者のような考え方は、ダーウィンがすでに語っていたことらしい。
道徳は何百万年にわたって進化したとする見方は、何も最近のものではない。動物は道徳的な行動の多くを人間と共有するという考えも同様である。チャールズ・ダーウィンは、人間の道徳的な感覚が進化のプロセスの産物だと述べ、動物の道徳性についても考慮に入れていた。(同上、p.174)
これは、ダーウィンはすごいと思わないではいられない。
自分は、人はもちろん、動物にも、山川草木すべてに、魂が宿り、心があるという世界観のなかで生まれ育ってきたので、動物が道徳心を持つとしても、さほどの抵抗はない。むしろ、「やっぱり、そうだったか」とさえ思う。
でも宗教、文化によっては、魂があるのは人間だけであって、動物にはないという考え方をするところもあるという。そういう考え方が支配的なところで、人間と動物とは、肉体的にも精神的にも連続しているのではないかと発想し、それを公にするというのは本当にすごいことにちがいない。
*協力
この部分はやや理想主義的にも思えるが、「協力は生存のカギ」というのはその通りのように思える。
確かに動物は争いあうが、社会的行動の進化の中心にあるのは協力であり、この事実だけでも協力は生存のカギになり得る。動物は自然に協力しあい、協力は、すでに確立され安定して維持されている、行動の社会的基準、すなわち道徳規範に依存する。これこそ、進化の理論の出発点、そして動物の生活に関する私たちの議論の基盤となるべき見方なのである。(同上、p.179)
進化というと、弱肉強食、優勝劣敗ということを連想しがちではあるけれども、実際のところは、生存戦略としてはそればかりではなく、協力、共生ということもあるのだろう。というか、それが利益になる場合は案外に多いのかもしれない。この点、やはり道徳は、生存戦略と無縁ではなさそうだ。
*まとめ
最後に、本書全体の感想を書いておくと、著者は、動物の心について語るだけでなく、その延長として、動物実験や肉食にはかなり批判的であり、動物愛護を強くうったえている。この部分は押しつけがましいほどに繰り返し強調されている。
多分これは動物に心があることを確信した者からすれば当然のことなのだろう。自分は、動物愛護にしろ何にしろ、特定の主義には固まりたくはないけれども、殺生はできるだけ避けた方がいいというのには賛成ではある。これからは、この点は気を付けたいと思う。〈了〉