中野翠の『小津ごのみ』を読んでいたら、「東京物語」の“とみ”についておもしろいことを書いていた。

とみは考え込まない女なのだ。考えても仕方がないことは考えないでいられる才能を持ち、そして孤独になり切れない、幸せな女なのだ。
(『小津ごのみ』中野翠著、筑摩書房、2008年、p.101)

こういう人は、たしかに幸せだろうなあと思う。
 
ちなみに自分はと言えば、どちらかといえば、考えすぎない才能には恵まれていない方のようだ。
 
十代のころであれば、夜ベッドの中であれこれ考えすぎて寝られず、東の空が明るくなりはじめたのに気が付いて、早く寝なくちゃと焦るというのはよくあった。
 
年を取った今はと言えば、早めに寝ることはできても、夜中に嫌な夢で起こされて、そのあとは明け方まで眠れないということが時々ある。
 
とはいえ、そういう自分であっても、考えてもどうにもならないことは考えないということができた時期はあった。
 
それは宗教を強く信じていた時期だった。その頃は、悩みがあっても、「神様、どうかよろしくお願いします」と祈れば、朝までぐっすり眠れた。
 
考えすぎない才能にとぼしい自分であっても、宗教という薬によって、考えすぎないことができたのである。
 
ただ自分はどうも宗教アレルギーがあるらしく、この薬はあまり長くは続けられなかった。宗教によって悩みが軽減されるのはよかったけれども、じきに宗教自体が悩みの種になり、不眠の原因になったのだからたまらない。
 
とはいえ、宗教という薬は、たとえ一時期ではあっても安眠という効果があったのだから、それだけでもよしとするか…。
 
宗教の功罪についてはいろいろ議論はあるけれども、自分にとってその功罪は固定されたものというより、ゆらゆらと動くようだから本当にややこしい。〈了〉