*人類全体は愛せても、特定の個人を愛するのは難しい
前記事につづいて、『カラマーゾフの兄弟』を読んで、気になった箇所と感想をメモしておきたい。今回は、まずはここ。↓
その人が申すには、わたしは人類愛に燃えているが、自分で自分に呆れることがある。というのも人類一般を好きになればなるほど、個々の人間を、ということはつまり一人ひとりを個々の人間として愛せなくなるからだ、と。
(『カラマーゾフの兄弟1』ドストエフスキー著、亀山郁夫訳、光文社〈光文社古典新約文庫〉2007年、p.149)
人類は愛するけれども、そのうちの一人と一晩だって一つ屋根の下にはいられないという感覚はよく分かるように思う。

仮に最高にウマが合う相手であっても、年がら年中べったりしてたとしたら、やがてはうんざりして、なんてことない箸の上げ下ろしにさえも腹が立ち、いらつくようになるというのはありがちだし…。

こういうことは、人が先天的に持っている習性のようなものであって、後天的な努力でもってはいかんともしがたいことではなかろうか。

もしそうであれば、結局、他人と良好な関係を保つには、距離感が大事だということに尽きるのかもしれない。


*自分に嘘をつかないこと
大切なのは、嘘を避けることです。
(同上、p.151)
ゾシマ長老によれば、上のような気持ちに対しては、自分に嘘をつかないことが肝要だという。「自分のなかで忌まわしいと思えるものは、それに気づくだけでも浄化される」ということなので。

たとえ、よくない思いであっても、そういう自分の気持ちに嘘をつくことなく、そういう自分をありのままに認めた上で、できるだけのことをするのが大切だと。


*まず第一に、人を実際に愛すること
自分の隣人を実践的に、そして怠りなく愛するよう心がけてください。愛することに少しずつ長けるにつれ、神が実在することも霊魂が不滅であることも、確信できるようになります。
(同上、p.147)
こういうアドバイスは、宗教のみならず、人生問題全般についてもよくあるように思える。ああでもない、こうでもないと考えてばかりいないで、とにかく実践していれば、やがて分かってくると…。

心から実感し、確信するというのは、頭で考えて分かるというよりも、経験によって可能となるということなんだろうな。