個人的には、
是々非々というのは、よいことだと思う。
よいことはよい、悪いことは悪いというのは当たり前だし、
結構なことだろうと。

でもこれは、
場合によっては、
よけいな恨みを買う原因にもなるようだ。

たとえば、こんな流れ。
「おまえが、Aを嫌うのは分からなくもない。たしかにAには嫌われても仕方がない悪いところがある。でもそればかりじゃなくて、いいところもあるよ。Aを嫌うにしても、そこのところは認めてあげてもいいんじゃないかな?」
「Aを擁護するのか!? Aは酷い奴なんだぞ。あんな奴を擁護するおまえも同類だ! 裏切者!」

もう一つ、こんな流れもある。
「君の意見には、もっともなところもあるけど、ここはちょっとまちがってると思う。考え直した方がいいんじゃないかな」
「僕を批判するのか! そんなら僕も言わせてもらうが、君はここも、あそこも、どこもかしこもダメダメだ。君には僕に意見する資格なんかないぞ!」

宗教絡みだと、こういう流れもある。
「君から勧められた宗教のことだけど、教祖はいいこと言ってるね。でもどう考えてもおかしいと思うところもあるよ。自分にはやっぱり信じられないよ」
「そんなこと言っちゃいけない。ただの凡人のくせに、教祖様の説法にケチをつけるなんて許されないことだ。教祖様を誹謗したら、来世は地獄だぞ!」

思うに、
是々非々というのは、
是々非々な態度をよしとする冷静な人に対してはいいけど、
全肯定、全否定に傾きがちな人に対しては、控えた方がよさそうではある。