人はどこまで自由なんだろうと前々から疑問に思ってたけども、本を読んでたらこんな文章を見つけた。
私たちは嫌みを言う上司に対して、つい、「なんであの野郎、もっと人が気持ちよく働けるような言い方でいえないんだろう?」などと考えてしまうわけですが、スピノザはその上司を含めて、だれも、自分で自分を変えることはできない、と言っています。つまり「自由な意志」などというものはないのだとたしかに物事はすべて原因結果の連鎖によって成り立っているとすれば、すべては必然であり、ニニが四であり、その枠から出るのは難しそうではある。(『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』小林昌平著、文響社、2018年、p.148)
仮に、人が何かを意志したとしても、それは自発的なものというより、何らかの刺激に対する反応にすぎないとすれば、なんだか馬鹿らしいような気もするけれども、すべてはニニが四であるなら、それを認めないわけにはいかないのだから仕方がない。
ときには、自分を励ますために、「人には自由意志がある。人は、自分の在り方も、生き方も、自由に決定できる」と考えてみるのもいいとは思う。でもそれが現実であると本気で信じ込んでしまうところまで行くとしたら、それは地に足がついているとは言い難い考え方と言わざるを得ないことになるかな、すべては決まっているという考え方からすれば。