keitaさんの文章を再読してみたけど、その通りのように思う。
信仰は棄ててしまえばあっけないものだ。

宗教の教え…特にその世界観は、
信じているうちはリアルに感じられるけれども、
信じなければ少しもリアルではなくなる。そのあっけなさは、驚くほどだ。

ついでに言えば、これと同じことは、宗教以外のことにも言える。
たとえ自分が、これには意味がある、価値があると信じていることであっても、
そういう思いを取っ払ってしまえば、とたんにそれは無意味、無価値になってしまうものだ。
この点、GO!GO!7188の歌詞は、当たってる。
やり切って やり切って やり切って
初めて気づいた

ずっとこだわってたことってよく見るとすごく小っちゃい
ほんとうにバカみたい笑っちゃう

曲はこんな感じ(上の歌詞の該当部分)。

・飛び跳ねマーチ/GO!GO!7188
https://youtu.be/crKVjNW-aEg?t=1369

一曲まるごとだとこう。

・飛び跳ねマーチ/GO!GO!7188
https://www.nicovideo.jp/watch/sm20383667

ちなみに、こういう状況の対抗策としては、次のような考え方があるという。
「一切は無意味であるなら、自分で意味を見出せばいいのだ。
一切は無意味であるからこそ、人は何にどのような意味をつけるか自由に決定できるのだ」

意味、価値のあっけなさに気が付いたものの、
虚無的にはなりたくない人にとっては、
これは一理ある考え方ではないかと思う。