わたしの魂は恐れおののいています。
主よ、いつまでなのでしょう。(詩編6:4)
わたしは嘆き疲れました。
夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。(詩編6:7)
主はわたしの嘆きを聞きこれは読んでいるだけで、
主はわたしの祈りを受け入れてくださる。(詩編6:10)
泣けてくる一節である。
でもそれはそれとして、
「涙は床に溢れ、寝床は漂うほど」
という表現は、すさまじい。
涙で枕を濡らすではなく、
涙によって寝床は漂うほどって
これはいくらなんでも…と思える。
でも、考えてみれば、
涙で溺れるという表現は聞いたことはあるし、
実際、涙で息を詰まらせることはありそう。
それなら、
「涙は床に溢れ、寝床は漂うほど」
というのも大袈裟すぎることはないかな。
*
ところで、
作者のおかれた状況や意図とはちがうだろうけど、
自分も、「主よ、いつまでなのでしょう」と思うことはある。
若い頃は、さして苦を感じることはなかったせいか、
「いつまでなのでしょう」なんて思うこともなかったけれど、
昨今は、一切皆苦を実感してきているので、
「いつまでなのでしょう」と思うこともある。
聖書を読んで、
一切皆苦を連想するなんて、おかしな話だけども、
「いつまでなのでしょう」
「この苦は、いつまでなのでしょう」
「四苦八苦は、いつまでなのでしょう」
「一切皆苦は、いつまでなのでしょう」
という具合に、考えないわけにはいられなかったのである。
あとは、
「主よ、いつまでなのでしょう」には、
映画『バッファロー’66』のこの場面を思い出してしまった。
宗教は、多くの場合、
苦からの解放を説いているだろうけど、
それを本当に実現できたら、どんなにいいだろうと思う。