詩編について調べていたら、次の文章を見つけた。
・「何故この世の悪があるのか」、神義論と呼ばれる問題だ。哲学者のヒュームは次のように述べたという
-ヒューム「神は悪を阻止しようとする意思は持っているが、できないのだろうか。それならば、神は能力に欠けることになる。それとも、神は悪を阻止することができるが、そうしようとしないのだろうか。それならば、神は悪意があることになる。悪を阻止する能力もあり、その意思もあるのだろうか。でも、それならはなぜ悪が存在するのだ」。 
この辺りの矛盾は、ほんと、どうなってるんだろうと思う。

神は善であり、全能であるという信仰から考えると、どうしたって、この世に悪があるという現実との間に矛盾が生じる。この矛盾は、上にある通り、なかなかの難物であって解消しがたい。

でも、視点をコロッと変えて、この世に悪があるという現実から考えると、神は善であり、全能であるというのは信仰ではあっても、事実ではないんだろうということで、けっこう簡単に一件落着となる。

もっともこれについては、「善悪は人がそのように評価しているだけであって、現実には善も悪もない」という意見もあるかもしれないが、仮にその通りだとすれば、ますます「神は善である」ということは事実でないことになりそうではある。

こうしてみると、神、霊、死後の生などなど、信仰上の問題は、信仰の中で議論しているだけではなかなか解決できないけれども、現実を認めれば案外、簡単に決着がつくことは少なくなさそうな気がしてくる。

最近は、人々の宗教離れが話題になることがあるけど、こういったこともその一因になっているのかも…。