詩編について調べていたら、次の文章を見つけた。
・「何故この世の悪があるのか」、神義論と呼ばれる問題だ。哲学者のヒュームは次のように述べたというこの辺りの矛盾は、ほんと、どうなってるんだろうと思う。
-ヒューム「神は悪を阻止しようとする意思は持っているが、できないのだろうか。それならば、神は能力に欠けることになる。それとも、神は悪を阻止することができるが、そうしようとしないのだろうか。それならば、神は悪意があることになる。悪を阻止する能力もあり、その意思もあるのだろうか。でも、それならはなぜ悪が存在するのだ」。
神は善であり、全能であるという信仰から考えると、どうしたって、この世に悪があるという現実との間に矛盾が生じる。この矛盾は、上にある通り、なかなかの難物であって解消しがたい。
でも、視点をコロッと変えて、この世に悪があるという現実から考えると、神は善であり、全能であるというのは信仰ではあっても、事実ではないんだろうということで、けっこう簡単に一件落着となる。
もっともこれについては、「善悪は人がそのように評価しているだけであって、現実には善も悪もない」という意見もあるかもしれないが、仮にその通りだとすれば、ますます「神は善である」ということは事実でないことになりそうではある。
こうしてみると、神、霊、死後の生などなど、信仰上の問題は、信仰の中で議論しているだけではなかなか解決できないけれども、現実を認めれば案外、簡単に決着がつくことは少なくなさそうな気がしてくる。
最近は、人々の宗教離れが話題になることがあるけど、こういったこともその一因になっているのかも…。
お久ぁー!
神は善であり、全能であるというのは、光明思想的慰め。
よく、「神は全ての全て」とか表現するじゃん。
まあ、その通り。
善&悪=神。
天使&悪魔=神。
コインだって、裏と表で初めてコインだろ?
表だけでも裏だけでもコインではない。
そういうことね。
善だけでは社会は成り立たず、
オマワリが食ってくには
犯罪者も提供する必要がある。
右手で光、左手で闇を操るのが神。
塩と砂糖で料理は出来る。
どちらか一方だけじゃダメ。
残念だけどそれが「神」の正体。
流石は「グチャグチャ哲学」の楽山くん。
良いとこ突いたなw
恐らく神さん、退屈凌ぎに物質界、作ったんだろう。
だが、俺的には、あまりに人間の命を弄びすぎると思うね。
もうこの辺で「お開き」にすべきではないか、と。
極貧国の酷過ぎる状況。
もう終わらせるべきだろう。
宗教はすべて創作。
「神様ごっこ」の終焉こそ、正義ではないか。
俺は、そう思うね。
楽山くん・・・。
tam
がしました