先日から、聖書の詩編を読んでいるのだけども、この一節にはハッとさせられてしまった。
主よ、お救いください。ここまで率直に、自分の気持ちを口に出せる人は幸せだなあと思う。
(詩編12:2)
自分も以前はそんな風だったと思うけど、最近はどうも、人に対してはもちろん、神様に対しても、あれこれ考えては遠慮してしまうことが多くなっている。
人でも、神様でも、何かを頼みたいときには、「こんなことをお願いしたら迷惑かなあ…」などと考えて、結局は諦めてしまうのである。
でも人に対してならともかく、神様に対してなら、もっと率直に自分の気持ちを口に出してもいいのかもしれない。
主は言われます。もし神様がこういう存在なら、救けてほしいときは、「救けてほしい」と叫んでもよさそうではある。どうかな。
「虐げに苦しむ者と
呻いている貧しい者のために
今、わたしは立ち上がり
彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」(詩編12:2)
君は一体、いつまでグチャグチャと
ガン公やレプオみたいに
出口のない糞哲学をやり続けるんだよぅ?
笑いが止まらぬw
もう、結論が見えてるw
「分からない」というw
いっつもコレw
要は「分からない」んだろ?
「分からない」哲学を延々とやり続ける、
ソレが「楽山哲学」であり「ガンレオ哲学」なw
ひたすら笑っちゃうよなw
楽山くーん、もっと人生、楽しめよw
たまには面白いこと、書いてくれよw
"ぽん吉"を見習い給え!"ぽん吉"を!
ギャァァァハハハァァァw
ヒィィハハハハァァァw
tam
がしました