志賀直哉 (Century Books―人と作品) 120
志賀直哉についての本を読んでいたら、怖いことが書いてあった。
なんでも志賀直哉は、子どもが電車に轢かれかけるという小説を書いた後で、自分が電車に轢かれてしまったのだそうだ。
この『出来事』という作品は、子どもが電車に轢かれかけて助かったという話を書いたものである。この作品を書き上げた晩に、彼は自ら電車に轢かれるという『出来事』に会った。
(『志賀直哉■人と作品』福田清人編、栗林秀雄著、清水書院、2016年新装版、 p.51)
また小説の場面…床屋が剃刀で客の喉を切るところ…を考えているときには、隣家で剃刀で自殺した人が出たという。
彼はこの奇妙な偶然、自分が小説の主人公が客の若者ののどをいかにして切るかという場面をしきりに考えていたとほぼ同時刻に、垣一重隣りの人がやはり剃刀でのどを切って自殺を遂げたという偶然を不思議に思った。この奇妙な偶然を知ったのは、作品「剃刀」を書き上げた後であったが、この話は、作品「剃刀」のもつ迫力を増させるような逸話だった。
(同上、pp.123-124)
一度ならずも、二度までもこういうことがあったのでは、なんだか気味が悪い話ではある。

でも創作にまつわるこの手の話は、時々、聞くことはある。たとえば、作曲家マーラーは、「亡き子をしのぶ歌」の作曲をしたあと、自身の子どもを亡くしてしまったという話。

映画『ポルターガイスト』、『エクソシスト』などでは関係者の死が相次いだともいう。映画製作には多数の人が関わるのだろうから、そのなかから亡くなる人が出ることもあるだろうとは思うが、一人、二人でなく、何人も亡くなったと聞くと、これは偶然ではないのではないかと考えないではいられなくなる。

それにしても世の中には本当に不思議なこともあるものだ。でも上に書いたのは怖い話の例だけども、きっとこれとは反対に、次から次へと幸運が続くというラッキーな事例もあるだろうな…たぶん。