主は裁きのために御座を固く据え
とこしえに御座に着いておられる。  
(詩編9:8)
以前は、とこしえ、永久、永遠という言葉は、けっこう好きだった。

でも近頃は、そういうことを想像するだけで圧倒されてしまうし、ふっと気が遠くなるような心持ちがする。

たとえば、とこしえという時間は、宇宙の百倍の大きさの石があるとして、、一兆年に一度、鳥の羽根でかるく撫でることを繰り返し、すべてが摩耗して塵になるまでの時間よりも、ずっとずっと長いのだろう。

そのくらいの間、神は御座についておられると想像したら、あまりにスケールが大きすぎて、めまいがする。

また、人が永遠の命を得たとしたら、そういう時間を生きることになるのだろうし、これも想像しただけで、足下がふらふらしてくる。ちょっと怖い気もする。

そんなわけで以前は、とこしえ、永久、永遠という言葉には憧れを持ってたりもしたけれども、最近はどうも、そういうことは想像することさえ遠慮したい気分になってきている次第である。