最近、松本侑子さんのツイッターをみてるけど、「赤毛のアン」のマリラについての話は、なるほどと思えた。

 マリラはいい人だけど、不器用で人から誤解されたり、自分自身も難渋してて、傍から見てて気の毒な感じはあったけど、自分が感じた不器用さは、許す、謝る、愛情表現の三つのことだったのかもしれん。特に愛情表現かな。
 あとちょっと思い出したけど、マリラは、アンを子守として使うために養女にしようとする人に怒ってたけど、マリラもマシューの農作業の手伝いとして男の子を養子にしようとしてたんだよね。どちらも労働力を期待して養子を欲しがってたのは変わりなかろうし、とすれば、マリラがアンを労働力として欲しがった人に腹を立てたのは、若干、自分に対して腹を立ててる部分もあったんだろうか。

 わおっ! これは知らなかった。「赤毛のアン」は読んだつもりだったけれども、こんな場面は知らない。松本侑子さんの全訳は、注釈も充実してるとのことで、自分の家の本棚にもおいてるのだけど、読もう読もうと思いつつも、積読状態になってたのだが、やっぱり読んどかないとアカンですな。

 記事を見ると、「ラズベリー水がいちご水に、カシス酒がブドウ酒に」というのには驚いた。ほんとうは、いちご水ではなかったのか…なんか、ショックだ。省略とか、抄訳とかならまだしも、改変はちょっとなあ…。でも当時は、ラズベリー、カシスなんて知ってる人は少なかったからかもしれないから仕方ないか。いやでもそこは註をつけとけばよかっただろうに。
 それはそうと、いちご水の失敗は、アンが美味しいものは二人で食べた方がもっと美味しくなるというおおらかな性格だった故の失敗だったのだろう。もしアンが美味しいものは独り占めして、あとでこっそり食べまくる、飲みまくるという性格であれば、あんなことにはならなかったろうし、そう思えば、あんな騒動を起こしてしまったアンは、ほんとうに性格がよくて、いい子だし、アンが次々に面倒な事件越しても、みなに好かれるのはその辺りに理由があるのかもね。