『仮想儀礼(下)』篠田節子
 今朝で、『仮想儀礼』の再読終了。
 上巻では、顧客に心の癒しを与え、それ相応の対価を得るという教祖の描く宗教ビジネスが成功して行くさまが描かれ、上巻の後半から下巻にかけては教祖が思わぬしっぺ返しを受けるさまが描かれている。
 教団が急成長することで、海千山千のものが寄って来てその誘いに乗らないととんでもない嫌がらせをしてくるだとか、そういうものと関わったせいで警察や税務署からにらまれるとか、マスコミにあらぬことを書かれて、信者も、世間的な信用も失い、社会的に孤立するとか、熱心信者のなかに暴走するものがでてくるとか、常識的な路線を進もうとしている教祖にとってはやっかいなことばかりが連続しておきている。特に信者の暴走についての描写は、念入りに描かれていて読みごたえがある。
 教祖はビジネスとして宗教をはじめたつもりだったのに、その宗教は教祖とは独立した生き物となって成長してゆき、信者だけでなく、教祖自身をも飲み込み、法律も、道徳も、教義も、そんなことはたやすく乗り越えて肥大化して行き、教祖も信者も教団内の者たちは誰もそれを止められなくなるという流れは本当に恐ろしい。
 こういう話を読むと、宗教はそれ自体は意思も、命も持たないものではあろうけれども、一度発生すると、人の心から心へと感染し、状況によって変異しつつも、その支配領域を増やしてゆき、場合によっては宿主を殺してしまうことさえある寄生生物のようでもある。ここは不気味だし、触らぬ神に祟りなしとは本当だなと思わされる。こういう考え方は極端すぎるかもしれないけれども、宗教を信じるということは、ある意味、自分を死に至らしめることもある寄生生物を心に入れるということでもあろうし、よほどの覚悟を必要とすることなのだろうと思う。