宗教的経験の諸相
 今日はひさしぶりに、古本屋さんを偵察してきたのであるが、けっこうな掘り出し物があったのでよかった。一つはジェイムズの『宗教的経験の諸相』の上下、もう一つは仏典だ。
 前者はもうずっと前に図書館でざっと読み、これは手元においてゆっくりじっくり読むべき本だと思いつつそのまんまになっていたのだが、今日は本屋の棚に自分を買ってくれとばかりに背表紙をさらして刺さっていたので、ちと高かったが購うことにした。
 後者は様々な仏典と高僧の著述の抄訳をひとまとめにした文庫サイズの本だが時々眺めるのによさそうだし、睡眠導入剤としても使えそうなので奮発してみた。文語で格調高い雰囲気があるのと、総ルビつきなのは気に入った。独学だと漢字の読み方を間違ったまま覚えてしまったりすることもあるけど、ふりがながあるとそれは避けられるのでよい。
 実を言えば、今日は、この前に当該古書店で岩波文庫の『創世記』を見掛けて、一文ごとに簡単な解説があるのを気に入って欲しいと思いつつも何んとなしに見送ってしまったのだけど、それから何日経ってもこのことが気にかかり、忘れられず、やっぱり買っておこうと考え直して出直したのだったが、どうもそれは既に売れてしまったらしくどこにも見当たらなくてガックリきたところで、上の本を見つけることができたのは本当によかった。真っ暗なところから、明るいところに出た気分。
 思い返してみれば、「本は買いだと思ったら、即、買え」とか、「本は絶対に売ってはいけない」というのは鉄則だと承知しつつも、自分はいつもそれを破り、後悔するということを繰り返している。どうも今回もそのパターンにはまったようだ。とほほ。でもまあ今回の場合はネットで買おうと思えばすぐ買える本だからまだいいかな。リアルでもネットでも滅多に出会えない本を見つけたにもかかわらず、つい見送ってしまったばかりに、手に入れられなくなった場合と比べたらよほどましだ。
 ちなみにこの古書店では、この前は国語関連の難しそうな本がどどーんと大量に出てた。今回は仏教関連、特に日蓮と道元に関するものが大量に出てた。函入りの高価な専門書が周回遅れの日に焼けたタレント本の隣にズラリと並べられているという光景を目の当たりにすると、この背景にどんな事実があったのか、想像しないようにしようと思ってもしないではいられないものがあるのがつらい。さみしくも、かなしくもあるが、これが現実というものなのだろう。