*キリスト教か否か?
聖書は輸血を禁じてはいないという話は聞いたことはある。上馬キリスト教会もそういう解釈のようだ。
聖書は輸血を禁じてはいないという話は聞いたことはある。上馬キリスト教会もそういう解釈のようだ。
https://twitter.com/kamiumach/status/1220582624537636864
返信をみると、エホバの証人はキリスト教ではないとか、使っている聖書が他とは異なる独自のものになっているという指摘がある。ノンクリの私からすれば、エホバの証人は伝統的キリスト教とは異なっているとしても、大きなくくりでいえばキリスト教系の宗教ではあるだろうと思えるけれども、伝統的キリスト教からしたらそうは考えず、まったくの別物だということらしい。
*宗教はすべてカルト?
エホバの証人は、伝統的キリスト教とは相違点があるとしても、「まったく違う」とまで言えるかどうかと思っていたら、カルト新聞の藤倉さんがその点について書いていた。
その宗教がカルトかどうかは、異端、異教かどうかで判定されないというのはよく分かる。もしそれが是とされるなら、A教の教義によって「B教は異端、異教であってカルトだ」といえば、B教の教義によって「A教は異端、異教であってカルトだ」ということも可能となる。そうなれば、各宗教がたがいにカルトと呼び合うことにもなり、そういう状況を一般からみたら宗教はすべてカルトだということにもなってしまいかねない。
やはりカルトかどうかは、特定の宗教教義による正邪判断ではなく、人権という視点から判断するのがもっとも公平であり、客観的だろう。個人的には人権なるものも一種の思想であり、宗教でもあると感ずるところもなきにしもあらずではあるが、少なくとも、特定の宗教教義による判断よりも普遍性、客観性どちらの面でも上であるのは間違いなかろう。
*カルトの定義
というわけで私は、藤倉さんのいうカルトの定義には、なるほどと頷ける。
実際問題としては、自分の常識感覚や一般社会の基準から見て、異様な風袋、言動をする宗教団体をみれば、カルトだと感じてしまうわけではあるが、そこは相手の信教、表現の自由を尊重することとして、その団体がカルトかどうかの判断は、人権侵害や違法行為のあるなしを確認してからにすべきなのだろう。
この手続きを怠ってしまうと、人権侵害をするカルトを批判しようとして人権侵害を犯してしまうという、まさにミイラ取りがミイラになったと言われるような事態に陥らないとも限らないし、ここはぜひとも注意が必要ではある。
*注(2020.1.25)
記事タイトルを、「輸血拒否はキリスト教か否か?」から、「キリスト教では輸血を禁ずることはない? (異端とカルト)」に変更しました。
この手続きを怠ってしまうと、人権侵害をするカルトを批判しようとして人権侵害を犯してしまうという、まさにミイラ取りがミイラになったと言われるような事態に陥らないとも限らないし、ここはぜひとも注意が必要ではある。
*注(2020.1.25)
記事タイトルを、「輸血拒否はキリスト教か否か?」から、「キリスト教では輸血を禁ずることはない? (異端とカルト)」に変更しました。