*まえおき
ツイッター上にて、幸福の科学(HS)の信者さんから、アンチは自己中でストーカーだとの指摘があった。
これについては、自分もツイッター上にて感想をあれこれ呟いてみたのだが、それに加筆修正して記事にしておきたい。
*アンチはストーカーか?
自分の感覚では、ストーカーと聞くと、個人が個人につきまとうことをイメージする。そのせいか、個人が特定の団体に批判を加えることはストーカーとは違う感じがする。
ストーカーについて検索してみても、個人と個人の関係について云々しているページはあっても、個人と団体の関係について書いているページは見つからなかった。
HSは過去に、講談社フライデー事件、幸福の科学事件などで世を騒がせているし、この間は、香港関係の霊言で人命にかかわる騒ぎを起こした。こういう団体に批判を加えたり、市民に注意喚起することをストーカーと同一視するのは、ちと無理があるのではなかろうか。
*退会者は自己中か?
今振り返ってみると、恥ずかしい気もするのだが、自分は信者だったころ、信仰心が揺らいだ時は、自分の意志と祈りでそれを維持するように努めていた。
「自分は絶対に信仰を貫くぞ!」「至高神エルカンターレよ、私に強い信仰をお与えください、お願いです!」などと、自分を鼓舞したり、祈ったりしていた。
でも最終的には、「なんか、おかしいぞ」という直観を無視する事は出来ず、「もうこれ以上、自分に嘘はつけない」ということになり、退会に至った。
信者だった頃は、「なんか、おかしいぞ」という思いが浮かんでも、それは悪魔や悪霊のそそのかしだと考えて耳をふさいでいたものだけれども、実際のところはそれこそが良心の声であり、それを無視して信仰を続けようとすることは我意であり、エゴだったのだろう。だからエゴを捨て、自分に正直になり、良心に従うことで退会できた。
この辺りの感覚は、信者には分かり難いかもしれないが、信仰ゆえに心が頑なになり、他人の忠告に耳を貸さない信者の姿を想像してもらえれば、ある程度理解してもらえるのではないかとは思う。
*恐怖によるマインドコントロール
信者は、HSは自由を尊ぶ団体であり、入会も、退会も自由だという。HSを信じきっている人からしたら、そう感じるのは当然だと思う。自分も熱心な信者だったころは、そうだった。
ただHSにおかしさを感じ、退会を考えるようになると、状況は一変して、『永遠の仏陀』に、信仰を手放したら地獄に堕ちると書いていることがすごく気になり始めた。
当然ながら、幸福の科学のまんがにあった一場面も思い出された。
教団に退会の意向を伝えた人が、先輩会員から「わかってるな。地獄だぞ」と念押しされたという話も思い出された。
今になってみれば、なんてバカバカしいことを心配していたのだろうと疑問に思うし、信じていないのに信じているふりをして天国に行こうとするより、信じれられないなら信じられないと自分に正直になって地獄に堕ちる方がましだろうと考えたりもできるのではあるが、当時はなかなかそういう思いには至れず、ぐずぐずと悩み続けたのだった。
信者の人は、何の疑問も持たずに、HSを信じきれているときは、自分がマインドコントロールされているとは夢にも思わないだろうけれども、HSに疑問をもち、退会を考えるようになったときには、恐怖に身がすくみ、容易には退会できなくなっていることに気づくこともあるだろう。そういうときは、どうか自分は恐怖によるマインドコントロールにかかっているかもしれないということを考えてみてほしいと思う。そこを自覚できれば、その恐怖心から抜け出すきっかけになるはずなので。