本を読んでいると、自分なりに考えていたことがすでに活字となっていることを知り、やっぱり自分が考えるようなことは、とっくにどこかの誰かが考えているんだなと思わされることがあるが、今回はこの箇所がまさにそれだった。
まず思い浮かぶのは、宗教の領域を二分する一大区分である。その一方に、制度的宗教があり、他方に、個人的宗教がある。

(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著、桝田啓三郎訳、岩波書店、2014年、p.49)
 自分は宗教には組織的な宗教と個人的な宗教があり、組織的な宗教は特定の教義を持ち、信者たちはそれに合わせるものであり、個人的な宗教は組織的な宗教の定める枠には束縛されず、自分の神のイメージに忠実でいることであり、人にはそれぞれ個性が存することや今後はより個人の尊重が尊ばれるだろうことから、将来的には宗教といえば個人的な宗教が主流となってゆくのだろうと想像したりしていた。
 少々妙なたとえであるが、旧日本軍では物資不足から様々なサイズの軍靴を用意するのは難しく、そのため兵隊に対して「軍靴に足を合わせろ!」とはっぱをかけることがあったというけれど、この話にのっていうならば、組織的な宗教は教義に自分を合わせるものであり、個人的な宗教は自分に教義を合わせるものだということになる。
 当然のことながら、著者の主張はこれよりもずっと理性的かつ穏当、妥当なものであり、私の考え方とは全然別だともいえるのではあるが、ただ宗教を個人的なものとそうでないものとに分けた部分については、共通しているようなので、この点については自分の考えは全くの見当違いというわけでもないと認めてもらえたようで愉快な心持ちはする。