著者によれば、宗教と孤独は深い関係にあるらしい。
宗教とは、個々の人間が孤独の状態にあって、いかなるものであれ神的な存在と考えられるものと自分が関係していることを悟る場合だけに生ずる感情、行為、経験である、と。 

(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著、桝田啓三郎訳、岩波書店、2014年、p.52)
 これは孤独の隣に神がいるという言葉を思い出させるものがあるが、この文章でいう神的な存在とのつながりを感じた時には、安心、慰謝、感謝などの幸福感が得られることだろうし、もしそうだとすればこれは臨死体験における光との出会いのエピソードに通じるものはありそうだ。この出会いが単なる妄想ではなく、客観的な事実といえるかどうかは議論があるが、本人には現実以上にリアルな体験と感じられているのは確かのようであるし、宗教的にはこれこそが重要な点なのだろう。
 巷では、どこかの宗教団体に属しているか、またどこかの名前のある神様を信じているかどうかによって、宗教の信者であるかが判断されることが多いけれども、著者の定義からするとそういう区分には関係なしに、神的な存在との関わりを感じているかどうかによって宗教があるかないかに分けられ、宗教信者であっても宗教は持たない者、無宗教であるが宗教を持つ者とされる場合も出てくるだろうし、こういうややこしさはなかなかにおもしろく愉快でもある。