「人は自分が見たいものは見ても、見たくないものは見ないものだ」という話はよく聞く話だが、本書でもそれらしい指摘があった。
幸福な人は悪を無視せずにはいられない。そこで、傍観者の目には、幸福な人が強情に悪に眼を閉じ、悪をもみ消そうとしているかのように映るかもしれない。思うに、「ポジティブ思考を心掛けよう」という程度ならまだしも、「常にポジティブでなければならぬ。マイナスの思いは絶対にダメだ」というところまで行ってしまっている人は、確かにこのような状態に陥っている事が多い。(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著、桝田啓三郎訳、岩波書店、2014年、p.137)
宗教の信者のなかにも、信仰による幸福を守るために、それをおびやかしかねない事柄に対しては頑強に目を瞑り、無視しようとする人を見掛けることはある。傍からすれば、そういう人たちに対しては、自分の殻に閉じこもってばかりいないで、外に出て前に歩き出したらどうかと言いたくもなるけれども、本人からしたら信仰という名の幸福の中にこもり、それを邪魔するものはすべて忌むべきことであり、悪であると思い込み、決して人の話には耳を貸さないのだから仕方がない。こういう風に心をかたくなにしてしまうところは、宗教の欠点というか…宗教にハマり過ぎている人の欠点であると思う。