*幸福の科学(HS)の信仰観
 HSでは、大まかに言って、およそ二つの信仰観がある。
 一つは、必ずしもHSの信者にならなくても、唯物論無神論に毒されることなく、他の正しい宗教を信じいればそれでもよいという考え方であり、もう一つはそれとはまったく違っていて、いくら他の宗教を信じていても、主エル・カンターレを信じていないようではダメだという考え方である。
 以前はネットを見ている限りにおいては、前者の考えを聞く機会は多かったが、最近はどうも後者の考えを熱く語る信者が増えてきているようだ。


*仏陀再誕
 でも振り返ってみれば、こういう信仰観はすでに『仏陀再誕』において語られていたのだった。地上に仏陀があるときは、他の神を信じてもダメで、地上の仏陀を信じなければならぬと…。この地上の仏陀とは、大川隆法のことだ。

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DSCN9601 仏陀への帰依1

DSCN9602  仏陀への帰依2

 なんか、ざっくりした画で失礼。


*大川隆法を疑い、信じない人
 ちなみに上記の『仏陀再誕』には、地上の仏陀である大川隆法を疑うことについてはこのように書いてある。

DSCN9604 批判は口に出すな

DSCN9605 p249 和合僧破壊の罪1

DSCN9606 和合僧破壊の罪1

 大川隆法に対して疑いを持ったとしても、それを口に出してはいけないし、もし口に出すことによって、他の人をも惑わし、悪い影響を与えたなら、地獄に堕ちることになると…。
 さらには、『永遠の仏陀』という書籍では、自らが信仰の綱を手放した場合も地獄に堕ちるとしている。
 したがって、真面目な信者ほど、これをそのまま信じて、大川隆法に疑問を持ってもそれを口に出す事はできず、かといって棄教し、退会することもできず、一人でもんもんと悩み続けることになる。


*100パーセントの信仰
 『仏陀再誕』では、大川隆法を信じるときは、そのすべてを信じなければならぬともいう。

100パーセントの信仰2 DSCN9604

100パーセントの信仰3 DSCN9605

 これを読み直していて思い出したのだが、「自分の小さな頭で何がわかるか」云々というのは、自分が会員だったころ、支部でよく言われていたことだった。
 会員でいると、「えっ、なんで?」と疑問に感じることもあるけれども、そういう時は「大川隆法総裁には、何か深いお考えがあるに違いない。自分の小さな頭で考えたって仕方がない。総裁を信じてついて行こう」などと仲間同士で言い合ってそれ以上悩み、考えることは止めたのだった。
 後年、大川隆法は「君よ、涙の谷を渡れ」という法話で、あなた方は何も判断しなくてよい、ただ信じてついて来てくださいと信者に向かって言ったそうだけども、この考え方はすでに『仏陀再誕』で示されていたということなのだろう。


*まとめ
 以上、『仏陀再誕』で語られている信仰観について簡単に書いてみた。ただHSの信仰観は将来的にもずっとこの通りかといえば、必ずしもそうとはいえないところはある。
 というのもHSでは教義変更はそう珍しくはないからだ。たとえば、信仰対象であるエル・カンターレの位置づけでさえ変わることがある。当初は、エル・カンターレの霊格は九次元とされていたが、数年後には13だったか、14次元だったかに修正されたし、その後はさらに格上げされて根本仏とされるようになっている。だから上の信仰観も今後変更されることはないとは言い切れない。
 HSの信仰観について興味のある方には、この点に注意しつつ、拙稿を参考にしていただければ幸いである。


 
◇◆ 追記 2020.4.27 ◆◇


*番外編(法身信仰論)
 ここでは少し細かいことも書いてみる。
 まず上に提示したように、『仏陀再誕』には、地上の仏陀である大川隆法に帰依すべきことが明示してある。
 でも入会して間もないならば大川隆法の無謬性を信じ、100パーセント信じることができたとしても、時間が経つにつれて大川隆法の粗が見えてきて、100パーセント信じるのは難しくなってゆくのが普通だ。そうなれば大川隆法を信じたいのにそれができないというジレンマを抱えることになる。
 このジレンマに陥った人のなかには、エル・カンターレ信仰を継続するために、法身信仰論(ソフィア氏命名)という考え方に移行する者がいる。その理屈はおよそ次のようなものだ。
「エル・カンターレは、天上界の存在と、地上に降りた存在(大川隆法)に分かれる。天上界のエル・カンターレは完全であり全能であるが、地上のエル・カンターレである大川隆法は肉体の制約を受けるので全能でも完全でもない。真のエル・カンターレ信仰とは、肉体の制約を受けている大川隆法ではなく、完全、全能の天上界のエル・カンターレを信じることである」云々。
 これは地上にある仏陀(大川隆法)に帰依することを命じる『仏陀再誕』では明確に否定されていることではあるが、HS信者のなかには案外にこの法身信仰論の支持者が多い。
 信者を見るときには、この点に注目すれば、その教学、知性、信仰の熱心さや継続性を知るうえで参考になると思う。
(註 : エル・カンターレは天上界では全能だが、地上で肉体を持ったら全能でなくなるというのでは、はなから全能ではないのではないかという疑問が生じるのだが、法身信仰論を支持する信者でこの点を気にする人はいないらしい。少なくともそういう人はまだ見かけたことはない)


*整理
 上の文章は、エル・カンターレ、仏陀、大川隆法などについての区別、違いなどについては説明しないままに書いたけれども、ここでは大雑把に説明しておきたい。
 とりあえず自分はこれらについて、大体、以下のように解釈している。

・エル・カンターレ…①至高神、地球神であって、地球で一番偉い神のこと。天上界にエネルギー体として存在する。 ②大川隆法を指してエル・カンターレと言うこともある。 ③前述の①②を合わせてエル・カンターレと言うこともある。

・仏陀…①仏教の開祖である釈迦 ②9次元以上の悟りを開いたという大川隆法を指すこともある。 ③教団内においては、大川隆法のことを「仏陀様」と呼ぶ信者もいた。

・大川隆法…①エル・カンターレの本体部分が地上で肉体をまとった存在。 ②釈迦の生まれ変わり。③過去世は、釈迦の他に、ヘルメス、リエント・アール・クラウド、ラ・ムーなどがある。

 ついでに書くと、大川隆法が自称する過去世は、いずれも王様ということになっている。ヘルメスは古代ギリシャの王様、釈迦は古代インドの王様、リエント・アール・クラウドは古代南米の王様、ラ・ムーはムー大陸の王様…といった具合である。
 また、大川隆法が選挙に出た時に、ボランティアをしていたとある信者の証言によれば、当時は「エル・カンターレ王国をつくろう」が合言葉になっていたそうだ。
 これらを材料にして考えれば、大川隆法が何を目指しているかは、おおよその見当はつこうというものである。こういうところは、大川隆法という男は、案外に分かり易い人ではある。