*神のイメージの幅
若者 「えぇっと、ちょっと待ってください。いま、お話を聞きながら、妙なことを考えてしまったのですが…」
老人 「妙なこと? どんなことだい?」
若者 「い、いえ、やっぱりいいです。すごくバカバカしいことなんです」
老人 「ひらめきや思い付きには、あまり自己検閲をかけすぎない方がいいと思うよ」
若者 「そうですか。では言いますけど、あなたの意見は、人には神のことは分からないのだから、『神は~である』とは断言できないし、『神が××であるなら~だろう』と仮定として話すか、『私には神は~と思える』と感想を話すくらいしかできず、誰かが抱く神のイメージについて確信をもって正しいとも、間違っているとも言えないということですよね」
老人 「そうだ。他人が抱いている神のイメージについては、共感したりしなかったりはできるが、どういうイメージが正解であるかは分からないのだから、正しいとか、間違っているとかは言えない」
若者 「そこで僕は思ったのです。それでは、もし『神は残酷であり、邪悪である』というイメージを語る人がいても、それを否定できないのではありませんか? これはおかしくありませんか?」
老人 「神は残酷だということについては、私の記憶では、たしか、スティーヴン・キングの『デスぺレーション』にそういう表現があったね。主人公の少年は、親友が交通事故で意識不明の重体になったことを切っ掛けにして、牧師の下に通い、信仰に目覚め、その後は多大な犠牲を払いながらも、邪悪な存在と闘い、その活動を阻止するという物語なんだ。少年は自分には邪悪な存在の活動を防ぐ使命があり、その使命を果たすために自分が霊的なことに目覚める必要があり、そのきっかけとして友人が事故に遭うことが計画されていたことに気づき、神は残酷だと呟いていた。運命論的な考え方、すべては神の摂理によって支配されているという考え方からゆけば、悲劇は神によって予定されていたことになるわけだし、そういう感想を持つのは致し方ない面はあるだろうし、そこに真理は少しも含まれていないということはないだろうな」
若者 「神は邪悪であるというイメージについてはどうですか」
老人 「『神は善であろう』と仮定すれば、神のイメージは善から外れるものは認められないことになるけれども、『神はすべてであろう』としたらそのイメージは必ずしも善に限定さなければならないというわけではなくなるだろうね。『神は善悪を超越しているだろう』としても、そのイメージは善に限定されるものではなくなる」
若者 「神は善であると言い切れないのだとすると、なんだか辛いですね。僕はやっぱり神は善だと信じたいです」
老人 「宗教のなかには、神のことを善神と悪神に分けているものもある。住民に虐殺命令を下したり、さほどの落ち度もない人物を不幸のどん底に突き落としてその反応を見てみようという悪魔の提案を受け入れる神もいる。また世界の神話には、現代的視点から見たら、とても善なる存在とは思えぬ神々が描かれている。神は善であるとは限らないという考え方は、そう珍しいものではないよ」
若者 「うーん、確かにそうですね」
老人 「善悪の基準は、時代、地域などによって変化するものだ。だから古代人が善なる神をイメージしたとしても、それは現代人からみればとても善とは思えず、理解不能なものになることもありえる。今きみが精一杯に善なる神をイメージしたとしても、それは未来の人々と共有できる善なる神とは限らないし、どちらかといえば理解されない可能性の方が高いのではないだろうか」
若者 「そうかもしれません」
老人 「そうであれば、きみが神は善であると考え、イメージしたとしても、それはあくまで個人的なイメージにすぎず、それに賛同しない人が現れて、『この若者は、到底、善とは思えぬ邪悪な存在を神だとしている。これは神に対する冒涜だ!』と噛みついてくることもあるかもしれない」
若者 「世の中には、いろいろな人がいますからね。まさかとは思いますが、ひょっとすると、そんなことも起こり得るかもしれません。少なくとも絶対ないとは言い切れないですね」
老人 「人には、絶対なんてことは言えないからね」
*宗教批判について
若者 「これまでお話をうかがって、前よりずっと、あなたの考えを理解できてきたように思います」
老人 「それはよかった」
若者 「でも、あの……」
老人 「どうしたんだい?」
若者 「すいません。また疑問がわいてきてしまったんです」
老人 「どんな疑問かな?」
若者 「ええっと、ですね…あなたの考え方は、神は不可知であって、人には分からないものだということでしたね」
老人 「そうだ」
若者 「だから、人には『神は~である』と断定的には言えないと」
老人 「そうだ」
若者 「神について語るときは、『神は××とすると、~であろう』と限定的に言うか、『私には神は~と感じられる』というように感想を言うくらいしかできないと」
老人 「そうだ」
若者 「神については確かなことは知り得ないのだから、他の人が語る神について、それがどういうものであっても、それについて正しいとも、間違っているとも断言できないとも」
老人 「そうだ」
若者 「そこで一つ疑問があるのです。あなたの考え方からゆくと、間違った宗教を批判することはできなくなるのではありませんか。世界には、反社会的なカルト宗教というものがあります。神を自称する教祖もいます。人には神のことは分からなず、他の人が語る神について断固否定することはできないのだとすると、そのようなカルト宗教や教祖を批判することはできなくなってしまうのではありませんか。これはおかしいです」
老人 「たしかに、きみの言う通りだ。でもそれは宗教的な見地からは有効な批判はできないというだけのことで、他の面からはいくらでも批判はできるんだよ」
若者 「はあ…、それはどういうことですか」
老人 「人には神について確かなことは分からないのだから、カルト教団が語る神について、それは正しいとも、間違っているとも断言できないし、その教祖が神であるかどうかも確実なことは言えないけれども、その教団および教祖が、違法行為や人権侵害行為をしているならばそれを指摘することは可能だ。教祖の言行不一致や奇行についても指摘できる。教義に論理的矛盾があればそれも指摘できる」
若者 「つまり宗教的な見地からは確実なことは言えないとしても、人権、法律、道徳、倫理、論理などの見地からは意見が言えるということですか」
老人 「そうだ。しかしその宗教において、神は、人権、法律、道徳、倫理、論理などは超越し、何らの束縛もうけないとしており、信者たちがそれを信じているならば、それらに基づく批判はさほど有効なものではなくなるだろう」
若者 「うーん。そういう宗教や教祖が間違っていることを証明するのは無理なんでしょうか。それができないなんて納得できないし、すごく悔しいです」
老人 「それをするためには、神とは何かという問題を解決しなければならないし、それができない以上は、どうにも仕方ないことだね」
若者 「そうですか…」
若者 「でも、あの……」
老人 「どうしたんだい?」
若者 「すいません。また疑問がわいてきてしまったんです」
老人 「どんな疑問かな?」
若者 「ええっと、ですね…あなたの考え方は、神は不可知であって、人には分からないものだということでしたね」
老人 「そうだ」
若者 「だから、人には『神は~である』と断定的には言えないと」
老人 「そうだ」
若者 「神について語るときは、『神は××とすると、~であろう』と限定的に言うか、『私には神は~と感じられる』というように感想を言うくらいしかできないと」
老人 「そうだ」
若者 「神については確かなことは知り得ないのだから、他の人が語る神について、それがどういうものであっても、それについて正しいとも、間違っているとも断言できないとも」
老人 「そうだ」
若者 「そこで一つ疑問があるのです。あなたの考え方からゆくと、間違った宗教を批判することはできなくなるのではありませんか。世界には、反社会的なカルト宗教というものがあります。神を自称する教祖もいます。人には神のことは分からなず、他の人が語る神について断固否定することはできないのだとすると、そのようなカルト宗教や教祖を批判することはできなくなってしまうのではありませんか。これはおかしいです」
老人 「たしかに、きみの言う通りだ。でもそれは宗教的な見地からは有効な批判はできないというだけのことで、他の面からはいくらでも批判はできるんだよ」
若者 「はあ…、それはどういうことですか」
老人 「人には神について確かなことは分からないのだから、カルト教団が語る神について、それは正しいとも、間違っているとも断言できないし、その教祖が神であるかどうかも確実なことは言えないけれども、その教団および教祖が、違法行為や人権侵害行為をしているならばそれを指摘することは可能だ。教祖の言行不一致や奇行についても指摘できる。教義に論理的矛盾があればそれも指摘できる」
若者 「つまり宗教的な見地からは確実なことは言えないとしても、人権、法律、道徳、倫理、論理などの見地からは意見が言えるということですか」
老人 「そうだ。しかしその宗教において、神は、人権、法律、道徳、倫理、論理などは超越し、何らの束縛もうけないとしており、信者たちがそれを信じているならば、それらに基づく批判はさほど有効なものではなくなるだろう」
若者 「うーん。そういう宗教や教祖が間違っていることを証明するのは無理なんでしょうか。それができないなんて納得できないし、すごく悔しいです」
老人 「それをするためには、神とは何かという問題を解決しなければならないし、それができない以上は、どうにも仕方ないことだね」
若者 「そうですか…」
*到底、神とは思えない神
老人 「タイトルは失念したが、ずいぶん前に、酒場に入りびたる天使が出てくる小説を読んだことがあるよ」
若者 「天使が酒場に入りびたってるんですか?」
老人 「そうだよ。小説の主人公のところに、ある人物が訪ねてきて、自分は天使だというんだ。でもその人物は酒場に出入りしていて、とても天使には見えない。だから主人公は、『酒場に入りびたる天使なんかいるわけがない。あいつが天使であるはずがない。でももし本当に天使であったとしたら、それを信じなかった自分はいったいどうなるんだ? 不信仰の罪を犯すことになるのか?』と悩むんだ」
若者 「結末はどうなるんですか」
老人 「主人公は、信じることを選択するんだよ。そして実際、その者は本当に天使だったんだ」
若者 「酒場の天使ですか…どうにもイメージできません」
老人 「私もきみと同じだよ。でも神は全能であり、なんにでもなることができるとしたら、酒場で泥酔している姿で現れないとも限らないだろう。それだったら神が何らかの目的をもって、カルト教祖として現れないとも限らないだろう。場合によっては、空飛ぶスパゲッティモンスターとして現れることもあるかもしれない」
若者 「ははは。それは冗談でしょう。もし冗談でなければ、いくら何でも極論過ぎてついていけません(苦笑)」
老人 「まあ、なんにしろ、神とは何であるかは分からないのだから、神はこうである、こうであるはずだという風に、決めつけるのは止めた方がいいだろうね。せいぜい自分には神はこうであると思われるという程度にしておいた方がいい」