*悪の発生
信者 「神は、人に自由を与えました。人の自主性を重んじたのです。でも人の中には、この自由をはき違えて、悪を犯す者が出ました。これが悪の発生原因です」
老人 「神は、人を善きものとして創造したのだろう。それならば人は、当初、悪を持たなかったのだろう。それならば自由を与えられても、悪を為すことはないのではなかろうか」
信者 「ですから、不心得な者が自由をはき違えたのです」
老人 「あなたは因果応報という法則があると主張していたろう。それならば悪の種がない限りは、悪の芽はでないということになるのではなかろうか。人は善きものとしてつくられ、悪の種を持たなかったのであれば、自由を与えられたとて、それをはき違えて悪を為すことはあるはずもないのでは?」
信者 「そもそも悪は存在しないという考え方もあります。人の目には悪と見えしことでも、大きな視点から見れば……たとえば、根本神のような高度な視点から見れば、一切のことには深い意味があり、悪は存在しないのです」
老人 「これについてはさっきも話したが、世の中には児童虐待事件というものがあるだろう。罪もない子供が残忍な殺され方をした例もある。どんな理屈を持ち出しても、どんな視点から見ても、これを悪としないことは無理だろう。人としての情緒を失わない限りは…。こういう現実から目をそらして、悪は存在しないということこそ、屁理屈ではないかと思う」
*訣別
老人 「この世に宗教はいろいろあるし、信者にもいろいろな人がいる。だから一概にこうだとは言えないのだけれども、あなたを見ている限りは、どうやら自分の信仰を守ることが一番の重要事項になっているようだ。信仰を持ち続けさえすれば、すべての問題は解決できるのだと」
信者 「……」
老人 「実をいえば、私もかつてはそんな風だった。ある宗教を熱烈に信じていて、その教義によって何でも判断していたんだ。複雑な人生問題でも、社会問題でも、その他なんでも、教義によって判断し、ニニが四とばかりに簡単に答えを出して満足していたものだった。この神義論、弁神論のような問題も、宗教教義を信じていたときは、チャンチャンで解決できた。今のあなたみたいにね」
信者 「……」
老人 「でもそのうちに、自分は教義ロボットになってしまっていることに気がついたのだ。何でも教義で考え、結論を出し、行動をするといった具合だ。まさに教条主義者だ。だからこの反省から、教義やら、ドグマやらに染まるのではなく、人間らしい情緒、正直な気持ちを大事にしようと思うようになったのだ。以前は、自分の心を、教義の枠にはめようと無理をしたこともあったが、今はそんな枠は気にせず、自分の心の手足をのびのび伸ばして暮らそうと思っているんだ」
信者 「……」
老人 「お節介な話かもしれないが、あなたもこの辺りのことについて考えてみたらどうだろう。別に信仰は止めるべきだなどということは言わないが、もう少しだけ心に余裕をもってもいいと思う」
信者 「突然、自分語りを始めたので、何を言うかと思ったらまあ…。何度も繰り返し言ってることですけど、ようするに、あなたは信仰を続けられず、退転したということでしょう。でもそういう自分の未熟さを率直に認めることができずに言い訳を並べ、自分は何も悪くないという自己正当化を試み、あろうことが私のことまでも同じ過ちを犯すように誘惑しているわけですね。人というものは信仰を失えばここまで落ちるもんなんですね」
老人 「……」
信者 「でも、おあいにくさま。私は絶対に信仰は棄てません。あなたみたいにはなりません。なりたくもありません」
老人 「……」
信者 「ブログを読んだ時は、もう少しまともな人かと思いましたが、それは間違いだったようです。今ようやく、あなたがどういう人かということが、はっきりわかりました。あなたとは話をするだけ無駄です」
老人 「……」
信者 「だから、あなたと会うのは、これが最後です。もう二度と会いませんし、話もしません。同じ部屋で同じ空気を吸うなんてまっぴらです」
老人 「……」
信者 「私はあなたに真理はお伝えしました。でもあなたはそれを拒否したのです。死後に地獄に堕ちてから、『誰も真理を教えてくれなかった』などと泣き言はいわないでくださいね。地獄に堕ちたのはあなたの自己責任なんですから」
老人 「……」
信者 「では、これで本当にさよならです」
老人 「そうですか。さようなら」
〈了〉