*概要
著者は本書の中で、獄中でも、精神病院でも、どのような環境においても安楽に過ごしてきたとし、なぜそれができたかといえば元々楽天的な性格であることはもちろん、恩師、友人知人のおかげとともに、安楽の門(宗教)によるとして、自らの宗教について語っている。
以下に、その要点と思われる箇所を引用し、自分なりの感想を書いてみたい。
*宗教の目的
まず著者は宗教の目的について、こう書いている。
宗教とは無限の生命に連なることである。これは梵我一如だとか、神人合一ということであろうか。無限の生命と人とは、別個の存在だというのではなく、連続しているという考え方をしているようだ。(『安楽の門』大川周明著、出雲書房、昭和26年、p.237)*註 旧字は新字にした
*既成宗教
著者は既成宗教については次のような感想をもらしている。
併し八代大将と同じく私にも仏教や基督教には何分『馬鹿らしき事』が多く思はれた。そして其の『馬鹿らしき事』が信仰の礎だと教へられては尚更納得出来なかった。これについては、某有名作家が仏陀を信じないかのような発言をしていたのを思い出す、人が解脱して仏陀になるなどということが実際にありえようかと。(同上、pp.204-205)
確かにそう言われてみれば、人が修養して人格を磨くことは可能としても、煩悩から離れ、仏陀になるというのは若干真実味に欠ける。さらには仏陀になれば、千里眼やら何やらの神通力を発揮するとか、過去現在未来の三世を見通せるとか、眉間から光を出して遠い世界を照らし出せるというなら、それはもうファンタジーの世界だろう。仏典にしろ、聖書にしろ、その記述をそのまま事実として信じなければならぬとしたら、大方の現代人にとっては到底無理な話だ。
私には八代大将に対する小笠原中将のやうな導師はなかつたが、書物を読んで勉強し、心から尊敬する先輩に親炙して直接その宗教的一面に触れ、且つ自分自身の経験を深く反省して行くうちに、いつとはなく既成宗教の信者になりたいといふ意図がなくなつた。これは自分にも分かる。ただ自分の場合、「既成宗教の信者になりたいといふ意図がなくなつた」というより、既成宗教の信者になることができないことがわかったといった方がよさそうだ。既成宗教の教えはどんなに立派でも、どんなに体系化されていても、一定の枠があるし、自分にはどうもその枠内に留まり続けることはできないのだ。(同上、p.205)
先日、内村鑑三の『宗教座談』を読んでいたら、神は聖書より大きいということが書いてあったが、おそらくこれは他の宗教についても言えることだ。神はどの宗教よりも大きく、その宗教の枠を超えている。だから特定の宗教の枠からはみ出したからといって、必ずしも神の御心に反するとは限らない。神はすべてを超越しているとすればそうなる。
でも宗教ではこういう考え方はあまり歓迎されないし、その宗教の枠から出たら、神の御心に反する異端とみなされてしまう。これでは枠をあまり気にしない自分のような者は、どこの宗教にも入れてもらえるわけもない。
虚心に考へて見れば、人は基督教徒や仏教徒にならずとも、能く人性の宗教的一面を長養することが出来る。その実例を私は八代大将、頭山翁に於て見たのであるが、同様の例は日本及び中国の偉人に於て枚挙に遑ない。ここは山本七平の語る日本教的な雰囲気が濃厚だ。自身の心を磨く修養が第一であって、そのために役立つなら仏教でも、基督教でも、儒教でも何でも用いるのであって、「絶対に〇〇教でなければならない」と固執するようなことはしないという行き方だ。だから仮に仏教→基督教→儒教と宗旨が変わっても、自己研鑽が第一という根本は変わっていないので本人的には自分の行動に矛盾はなく、平気だということになる。(同上、p.151)
実を言えば、自分もこういうタイプだ。だからいろいろな宗教、思想を学ぶことにさして矛盾は感じない。こういう行き方は、特定の宗教や思想を信じ、その枠内に留まることにこだわり、そのために命を懸け、殉教も厭わないタイプからは嫌われるだろうが、自分は宗教や思想の奴隷になるつもりはないのだからこういう立ち位置になるしかない。
*奴隷
著者はここにおいて、宗教に対しても自由を放棄しないとしている。
私は書物に対する過度の尊敬から解放された。書物は心の案内者たるべきもので、決して私の心の専制者であつてはならない。私はいかなる学者の奴隷にもならず、自分の自由なる心で宗教を学び且求めねばならぬと思ひ定めた。この道理だけは早くから知つているつもりで居たが、身に沁みて左様でなければならぬと感じたのは遥かに後年のことである。著者によると、横井小楠は朱子を学ぶといっても朱子の奴隷になってはならぬとしていたらしい。でも著者はこれを知りつつも、カントやヘーゲルの書を読むうちに自らの思考の自由を失いつつあることに気づき、上のように考え直したのだそうだ。(同上、p.143)
この話は、江戸時代の儒者が、孔子や孟子が総大将になってシナの軍隊が日本を攻めてきたらどうするかと問われて、日本防衛のために武器をとって戦うと答えたというエピソードを思い出させるものがある。
恥ずかしながら、自分はとある新興宗教の教祖の奴隷になってしまっていたことがあるので、この言葉は身に沁みる。
*信仰
*信仰
信仰については、何を信じるかではなく、どのように信じるかが大切であり、赤子のごとくあるのが理想であるという。
宗教の主眼は何を信心するかではなく、如何に信心するかである。宗教の価値を定めるのは信心の純不純でつり、信心の対象が宗教の高下を測る物尺とはならない。(同上、p.231)
総ての流れが、末は遂に大海に注ぐやうに、何を信心の対象とするにせよ、若し其の信心が無垢純一でありさへすれば、人は之によつて無限の生命に連なることが出来る。これは「心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん」という道歌に通じるものがある。(同上、p.232)
どんな宗教であれ、まともな人もいれば、おかしな人もいるものだ。カルト信者だからといって必ずしも皆がおかしいとは限らない。同様に社会的に認められている伝統宗教の信者だからといって必ずしも皆がまともとも限らない。思想でも同じようなものであって、右でも左でも、まともな人もいれば、そうでない人もいる。結局のところ、何を信じるかではなく、各人の心の状態こそが大切だということなのだろう。
何を信じるかにこだわる人は、ようするに自分の宗教を宣伝したい、押し付けたいからなのだろうと思う。
*母
*母
著者自身はどのような宗教を信じているのかといえば、母が本尊であるという。
私は、吾母を念ずることによつて一生を安楽に暮らして来たのである。それ故に『汝は何うして安楽に暮らして来たか。』と問はれるなら、私は即座に『母を念じて暮らしたからだ。』と答える。(同上、p.62)
数年以前に天満天神・阿弥陀如来・八幡大菩薩を本尊とする母の信仰を簡単平明なものと考へた私が、一層単刀直入に母を本尊とすることによつて安心を与えられることになつたのである。母が本尊だと言われると、正直「なんじゃそりゃ?」と思わないではいられないが、どうやらこの話にはもっと奥行きがあるらしい。少し長いが、話の筋道が分かるように引用することにする。(同上、p.210)
さて一家の先祖が其家の神として崇められるやうに、多くの家族が相結んで部族を形成するやうになれば、諸家族の共同の先祖として信仰される部族神が、各家族の先祖よりも一層高位の神として崇拝される。そして其頃には先祖以外にも色々崇拝の対象が現れ、人間生活の宗教的一面が次第に複雑になつて来たので、茲に専ら祭祀を事とする一個の階級がうまれるやうになつた。次で多くの部族が一つの国家に統一されるやうになれば、部族全体の祖先が国祖として国民崇拝の対象となる。多くの国家では、内外幾多の原因から、建国当初の精神が中断又は断絶したために、国民の国祖に対する宗教的関係も自ら消滅せざるを得なかつた。其等の国々では、国民の生命の本源たる国祖を認めず、直ちに宇宙全体の本原たる神を父と仰いで居る。唯だ日本の場合は、建国当初より今日に至るまで、国祖の直系連綿として国民に君臨し、民族の歴史的進化が一貫相続して中絶しなかつたので、国祖の精神を永遠に護持する天皇に対する国民の関係は、今日尚ほ鮮明に宗教的である。それ故に天皇に対する『忠』は、その本質に於いて父母に対する考と同一である。忠孝一本と言はれるのは其のためである。それ故に日本人の場合は、子女としては親に考なること、国民として天皇に忠なること、そして一個の人間としては天を敬することが、三者一貫せる『敬』の具体的発言であり、従つて日本人の宗教である。日本では忠孝一致になるという話は聞いたことはあるが、敬天も一致するとはおもしろい。今風にいえば、忠孝信が一致するということだろうか。母を敬し、信じることから、先祖崇拝に発展することは分かるが、それが忠孝信の一致にまで行くとは驚かされる。こういう理屈は愉快な心持ちがする。(同上、pp.200-201)
*神のイメージ
著者による神としての母は、次のようなイメージであるらしい。
私は『下獄の際には仕方がないと諦めた。』と言つたが、その諦めは、私が心の中で『母上、私は監獄に往つて参ります。』と挨拶しただけで、いとたやすくついた。それは三度とも其通りである。わたしのこの挨拶と共に、慈母の悲心、一瞬に山川百里を越えて、まつしぐらに私の身辺に飛到する。わたしが何事をも頼まないのは、母は私の求める一切を知り尽くして居るからである。赦せと願はぬ前に、母は私を赦して居る。暗いと嘆く前に、すでに燈明を用意して居る。淋しいと訴へぬ前に、すでに私を慰める。いや、吾母は私が求めようともせぬものまで与へてくれる。その証拠には、慈母の悲心を吾身に感ずるその瞬間に、私はもはや何ものをも求めなくなる。何ものをも求めなくなるのは、その場合の私に最も必要なものが与えられるからである。そして此の求むるところなき心こそ、もっとも安楽な心である。意外なことに、これは自分の神のイメージと似てる。というより同じだといってもいいくらいだ。自分と神のイメージを共有する人はどこにもいなそうだと思っていたが、先行者がいたというのは嬉しい。やはり自分が思いつくようなことは、とっくに誰かが考えているということなのだろう。いつも思うことではあるが、この世に新しいものはないというのは本当のことなのだろう。(同上、p.46)
自分が抱いている神のイメージは、母性的な存在だという自覚はあったが、本書を読んでさらにその自覚は強まった。「赦せと願はぬ前に、母は私を赦して居る。暗いと嘆く前に、すでに燈明を用意して居る。淋しいと訴へぬ前に、すでに私を慰める」という部分は、まさに「祈らずとても神や守らん」ということでもあろうし、かたじけなさに涙こぼれる心持ちがする。
それにしても、このくらい貪りから離れたら、さぞ心穏やかであり、神への感謝によって心は満ち、強いてどこかの宗教にしがみつく必要もなくなるのは当然だろう。自分はこういう心境とはほど遠いが、いつかは辿り着きたいものである。
*全体の感想
大川周明については、前にも書いたように東京裁判での奇行から、あまりよい印象は無かったので、その著書を読んだり、人となりを知りたいという気にはなれなかった。でも本書を読んでみると、その宗教観にはさして異論もなく、よく了解できた。もしかしたら自分は、大川周明に対して、いわゆる食わず嫌い状態になってしまっていたかもしれぬ。
本書の中で、自分がもっとも強い印象を受けたのは、上の母に重なる神のイメージと、親孝行が絶対的な神への信仰につながるという理屈だった。親に感謝すれば、親を育んだ先祖への感謝となり、次にはその先祖を育んだ民族神、さらには国の神への信仰となり、最後には絶対の神への信仰に行き着くと…。なにやら修身斉家治国平天下のような雰囲気もないではないが、自分にはこの考え方は分かり易くていい。
人は神によって万物の霊長としてつくられたのであるから、自然を管理、支配する権利義務があるというよりは、自分が今あるのは両親、祖先のおかげであり、両親、祖先があるのは民族や国のおかげ、民族や国があるのは自然のおかげ、自然のあるのは神様のおかげ…という具合に、両親、ご先祖様、自分の生まれ育った土地の神、民族神、国の神、自然の神、絶対神…天地一切のものに感謝をささげるという方が、自分には合っている。
本書を読むことで、こういう自分の宗教感覚を再確認できたのはよかった。本を読んでいて、これは反対だ、これも反対だと批判ばかりが心にうかんでくると、何でも反対屋になったようで気が滅入るが、共感できる箇所がたくさんある本を読むと、何やら自分が素直な人間になったようでなかなかいい気分だ。