前記事を書きながら思い出したことがある。
 ちょっと恥ずかしいことではあるが、自分が匿名掲示板のキリスト教スレによく書いていたころは、HSを退会し、宗教全体に悪印象を持っていた時期だった。HSは伝道伝道また伝道で、とにかく信者を増やそうとする団体だったので、どこの宗教もそうだと思い込み、それによってキリスト教を批判したのだ。「なんだかんだいっても、結局は、信者を増やしたいってだけでしょ」といった具合である。
 これに対するキリスト教側の答えは、大体次のような主旨の話だった。洗礼は、半年、一年、一年半など長期にわたって教会に通い、聖書や教義を習い、そのあと決意の固さを確認した上でなされること。洗礼を受けた者が棄教するということは、ある種、神様に対する裏切りでもあり、そういうことになるならはじめから洗礼は受けずにいた方がよいともいえるので、本当に心から望んでいるのでなければ洗礼はすすめないこと等。
 自分はこの話によって、すべての宗教がHSのように信者を増やすことばかりに熱中しているわけではないと知らされたのだった。HSは相当に特殊であり、そういうHSを基準にして宗教全体を語ってはいけなかったのだ。またHSの初期は、HSの書籍を十冊以上読み、入会願書に入会目的などの作文を書くなどの手続きがあり、これは宗教としては異例なことだと聞かされていたけれども、上の洗礼までの準備と比べればかなり緩い方だったのだ。
 宏洋氏は、HSのネット入会制度を批判していたけれども、クリスチャンの知人友人は多い人のようであるし、おそらくは上のような話を知っており、宗教に入信することはもっと尊いことであってネットでお気楽にすることではないという感覚を持っているのだろうと思う。どうかHSには入会手続きの簡素化については再考してほしいものである。