真理に対する態度としては、全身全霊で信じるべきときもあれば、疑問を大切にして、探究し続けるべきときもある。そういう意味で、次の言葉は納得できる。
 宗教に凝りすぎると、信じることを尊ぶあまりに、疑問を持つこと、考え続けること、調査、実験を繰り返すことなどを軽侮し、否定することさえある。実をいえば、過去には自分もそんな風になってしまったことがあった。でも今にして思うと、これは信に偏りすぎており、あきらかに中道から外れていた。反省。
 一見したところでは、信と疑は、正反対であり、二者択一を迫られているようでもあるが、実際はどちらか一方を選ばねばならぬというものではなく、どちらも大切であり、この二つを両輪としてこそ、人は真っ直ぐ進むことが可能になるのだ。
 もしどちらか一方の輪を止め、もう一方の輪ばかり回すなら、同じところをぐるぐるまわるばかりで前には進めなくなるし、やがてはコントロールを失い、穴に落ち込んでしまうのがオチだ。信と疑は、どちらか一方を選べばそれでよいというのでなく、要はバランスが大事だ。
 話は少し変わるが、自分は、古いものは良いものだとは必ずしも言えないと思うので、古くからの教えだからといって、それを絶対化しようとは思わない。かといって合理主義者でもないので、不合理なものはすべて改廃すべきだとも思わない。経験と理性についても、信と疑と同様に、どちらか一方だけで判断するのでなく、バランスが大事なのだと思う。