最近、内村鑑三の「宗教座談」で、神は聖書より大きいとしているのを読んで、思わず膝を打ってしまったのだったが、次のツイートを見ると、スピリチュアルな方面でも同じような考え方をあるらしい。
霊界からのメッセージ@CaIrx4KSwAxAIYO宗教についての真実を申せば、真理の全てを説いている宗教など有りえないということです。どの宗教も、真理の光のほんの一条しか見ておりません。しかも悲しい哉、その一条の光すら永い年月のうちに歪められ、狂信者によって捏造されております。 https://t.co/kxjGQp2Z7e
2020/07/27 18:00:56
ちなみに、自分がこの問題に興味を持ったのは、某宗教の信者と信者の論争を観戦していたときだった。この時、ある信者が「あなたが言っていることは教義にありますか。どこにも説かれていないのではありませんか。そんなものは真理ではなく、あなたの妄想にすぎません」という主旨で相手を批判しており、自分はこれに対して、いやいや教義に無いからといって真理ではないとは限らないだろうと思ったのだった。
「教義にないことは、教義ではありません。教義でないものを、教義であるかのように言うのは止めてください。教義と個人的な感想や意見は、きちんと区別して言ってください」と言うならまだ分かる。でも、「教義にないことは真理ではありません。あなたの妄想にすぎません」というのは、ずいぶん、ヘンテコな話なのだ。
こういう場面を見ていると、宗教信者は、唯物論者に向かって、「この世がすべてではありません。この世を超えた世界があるのです。そのことを知ってください」と言ったりもするけれども、これは宗教信者にも言えることであって、宗教信者の方も、宗教で説いていることがすべてではなく、宗教を超えた世界があることを知らなければならないのではないかと思う。
宗教にハマってしまうと、宗教で説かれていることこそが真理であって、それに反することや、説かれていないことについては真理ではないという短絡的な思考に陥ってしまうこともあるが、ここはぜひとも注意したいところである。