*つづき
 前記事のつづき。


*どっちが本当?
 元記事は読んでないのだけれども、これはst氏が言っているということだろうか。
幸福の科学とは無関係のキリスト信者からも、お前はキリスト教を信じてないではないかと批判されています
 それなら、過去のst発言を貼っておく。
2020-09-02一応キリスト者のつもりの私より

 こういっては何だけど、st氏は関係性によって言うことが変わる人だ。はじめての人、薄い関係の人、話が合う人に対しては、すごく腰が低くて丁寧だが、意見が合わない人、嫌いな人に対してはボロクソ節でこき下ろす。そういう人が正しいことを言っても、ああ言えばこう言う方式で貶しまくり、全否定する。
 LEO氏はst氏を知って間もないなら、このことに気づけないのも仕方ないけど、ああ言えばこう言うはダメだといいながら、ああ言えばこう言うに惑わされているのでは仕方がない。


*自分教
 これはおかしなことになっている。
キリスト教を中心にやっている人からも、ニセモノと言われるような態度では、やはり、幸福の科学から逃げても、自己都合のエセ信仰に頼っている、自分教信者でしかないのだな、ということでしょう。
 どうやら、LEO氏は、st氏は教会には通わず、聖書も通読していないということを知らないようだ。だから自分教信者を信頼しながら、自分教を批判するという、おかしなことをしている。
 何はともあれ、これによって、LEO氏は、自分教を批判するけれども、自分教者かどうかの見分けがつかないことがわかった。


*ダブスタ
 ここもおかしい。
こちらのブログ主はキリスト信者だそうですが、この方も、ここでわたしが指摘している退転アンチに大迷惑をこうむった方のようで、延々と該当アンチのことを批判し続けているようです。
おかげで、ああ他にも批判している人が、幸福の科学信者以外でもいるんだな、と知ったわけですが、
 st氏は、ヤフーブログの一部では、ネットストーカーで有名だった人だ。たしか6年だったか、8年だったか、shalom氏をストーカーしていたという。現在、自分は、氏のブログは全然見なくなったが、それでもその状態はおよそ見当はつく。
 LEO氏は普段は粘着ストーカーは悪としながらも、論敵が延々ストーカーされるのはよしとしているのだからおかしい。
 こういうところをみると、LEO氏は真理に忠実であろうとするよりも、論敵を叩けるなら何でも有りの人だとわかる。


*仲間
 ここで、LEO氏は、st氏に賛同している。
この方の該当アンチ批判、いくらかを読んでみましたが、当たっている批判が多いと思えました。
退転した悪質アンチよりも、(別に幸福の科学信者ではないけれども)キリスト教信者であるこのブログ主の方が、遥かに正直で素直、純粋に信仰を述べて、該当アンチを切り捨てています。よほど不愉快なことを過去にされたようです。さもありなん、あのアンチならやりそうなことです。
 意見が合うなら、二人は仲良くなれるにちがいない。LEO氏はブログでたくさんキリスト教の記事を書いているし、案外、st氏はこれを読んで感化されて、HSを信じるようになるかもしれない。


*経緯
 一応、st氏との経緯を書いておこう。
 自分はヤフーブログ時代に、st氏のshalom批判を読んで、shalomという人からよほど酷いことをされたのだろうなあと気の毒に思ったのだった。またその宗教観にも一理あると思った。それで交流するようになったのであるが、その後の顛末は、こちらにまとめてある。


 楽山の言うことは信用できないというなら、マグダラのマリア氏の記事を読めばいい。


 ひさしぶりに、マリア氏のブログを見たら、こんなことを書いておられた。


 これはなかなか意味深だな。


*おしまい
 ふう、やっと、ここまでたどり着いた。
 ほんといえば、まだ書き残したこともあるのだが、それはまたいつか機会があればということで…。
 とりあえず、今回はここまで。





◇◆ 追記 2020.9.3 ◆◇


*st自由同一人物説
 今回のことで、ヨシュア氏のst自由同一人物説を思い出した。自由(楽山)の文章は、キリストを信じたことがないと書けない文章だ、その他にも二人の意見には共通項がある、自由の正体はst氏だ! というような主張だ。
2018-12-16 終わりのはじまり、、、1

2018-12-16 終わりのはじまり、、、2
 これは、いま読み返しても、おかしな主張だと思うが、ヨシュア氏側が繰り返していたst氏の粘着批判は迷惑だというのは正当な言い分ではある。でもアブラハム関連の議論については、自分はやつぱりst氏の方に理があるとは思うし、ヨシュア氏が議論と関係ない、st氏のプライベートなことを持ち出して、ああだこうだいってたのはよろしくないと考える。あれはst氏が気の毒だった。
 もっとも、ヨシュア氏側の身になって考えてみれば、st氏の粘着ストーカーに切り返すには、そのくらいの強硬手段に訴えるしかなかったのだろうし、実際それはst氏を退散させるのに効果はあったようだし、止むを得ないことだったのかもしれないな。また当時のヨシュア氏は、自分のためというよりも、マリア氏を守ろうとして奮戦していたのだろうし、あの口調の荒々しさも止むを得なかったのかもしれない。こう考えてみると、あの頃の自分は、ヨシュア氏に対してあまりに厳しい見方をし過ぎていたようだ。反省。